1933年1月30日、ヒトラー内閣が成立した。ヒトラーは政権基盤を固めるために議会を解散して3月5日に総選挙を行うことを決めた。2月27日の21時30分頃、国会議事堂のそばをとおりがかった学生がガラスの割れる音を聞いた。この時、国会議事堂は何者かに放火されたのである。
国会議事堂が燃えていると聞いてゲッペルスは冗談だと相手にしなかった。ヒトラーはコミュニスト(共産主義者)の仕業だ!」と叫んで現場に急行したという。また、現場に到着したゲーリングは「これは明らかに新政府に対する共産主義者の犯行だ」と叫んだという。その後間もなく到着したヒトラーも、「これは天から送られた合図ですよ、副首相閣下!」「もしもこの火事が、私の考えている通りコミュニストの仕業だとしたら、我々はこの危険な害虫どもを鉄拳で叩きつぶさねばなりません!」と語った。
放火の実行犯としてオランダ人マリヌス・ファン・デア・ルッベが捕らえられた。彼は無政府主義者であり、オランダ共産党員であった。内務省政治警察部長ルドルフ・ディールスは「一人の狂人の単独犯行」と推定した。
しかしヒトラーはこの放火事件を「共産主義者による反乱計画の一端」と見なし、「コミュニストの幹部は一人残らず銃殺だ。共産党議員は全員今夜中に吊し首にしてやる。コミュニストの仲間は一人残らず牢にぶち込め。社会民主党員も同じだ!」と叫び、単独犯行であるとするディールスとは意見を異にした。
その日のうちにプロイセン州警察は共産党議員や公務員の逮捕命令を出した。共産党系の新聞はすべて発行禁止となった。その後、共産党議員団長であるエルンスト・トルクラーや後にコミンテルン書記長を務めるゲオルギ・ディミトロフ、ディミトロフと同じブルガリア人の共産主義者であるブラゴイ・ポポフとヴァシリ・テネフの4名が共犯として逮捕された。
2024年3月13日、大阪市役所の前に置かれていたミャクミャク像が何者かに傷つけられた。誰がその破壊行為を行ったのか。まだ警察による捜査も進まず、防犯カメラの解析もされていないのに吉村洋文知事はこの破壊行為を「万博反対派の犯行」であると断定的に語った。まだ何もわかってない段階で、どうして「万博反対派の犯行」であると断定できるのか。オレが真っ先に思い出したのは。上記のドイツ国会議事堂放火事件であった。
ナチスが共産党を弾圧したことや、ユダヤ人を迫害したことは何のためだったか、そうして社会を分断して民衆の中にスケープゴートを作り、巧妙に自分たちへ投票させることだった。橋下徹が「公務員は既得権益者」「バス運転士の給料は高すぎる」と住民の嫉妬心を煽った手法はそれとよく似ている。大阪の住民はまんまと騙され、維新の会はいつのまにか大阪府議会や大阪市議会で過半数の議席を握って独裁体制を進めた。大阪は維新支配が完了し、住民の反対を無視してカジノ・IR開業を強引に推し進め、そのインフラ整備のために2025年の万博を誘致することに成功した。
ナチスと維新はよく似ている。目的のためにはウソやデマを平気で語り、意見を異にするオレのような人々を「アンチ」と切り捨て敵視する。その未来に何があるのか。我々は過去の歴史というものから学ぶことができる。大阪の未来にはただ破滅が待ってるような気がするのである。
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