2024年03月11日(月) |
3・11から13年(災害で死なないために) |
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東日本大震災から13年である。福島原発のメルトダウン事故のために帰還困難地域となったエリアはまだ多く残っている。「絶対に起きない」と政府が主張していた原発事故が「自然災害に対して脆弱」ということがわかったのもあの時からだ。長年の間高校生のディベートの全国大会では原発論題が取り上げられ、電気事業連合会が大会に協賛する中で「原発はやっぱり必要だ」という主張が決勝戦で勝つという大人のお約束が行われてきたが、さすがに2011年以降は原発の是非を論題にすることはなくなった。事実の前に議論が打ちのめされたのである。それでもなお新規に原発を造ろうとしている政府の方針にはあきれるしかない。どれだけ多くの利権がそこに介在するのか。原発建設によって金儲けをする連中がどれだけいるのかとオレは暗澹たる気分になる。
地震によって直接人が死ぬわけではない。地震で建物が倒壊するからその下敷きになって人は死ぬのである。だったら地震で倒壊しないような建物を造れば死者をなくせるわけである。建物の耐震性というものをきちんと追求していけば、地震国日本であっても「地震による死者ゼロ」を目指すことは可能なのだ。阪神大震災のあの激しい揺れでもすべての建物が崩壊したわけではない。TVでCMを流しまくる大手のマンションがつぶれまくった一方で、被害のないマンションもあったし、旭化成ヘーベルハウスなどはその耐震性の高さが実証された。あのときどこがつぶれたか、どこが無傷だったかということはとても重要である。また、明治の古い建築で被害のなかった建物もあったのだ。
埋め立て地のポートアイランドはひどい液状化の被害に見舞われた。埋め立てた土地は必ずこのような被害が起きるということを我々は体験したわけである。大阪万博やカジノIRが予定されている夢洲は、大きな地震があれば壊滅的な打撃を受けるだろう。
自然災害の被害から逃れることはできない。これは日本人の宿命である。火山の噴火のようなことも起きる。富士山が大噴火して強い西風が吹いたら東京の都市機能は完全にストップするだろう。江戸時代のような大噴火が二度と起きないとは断言できないのだ。日本列島は過去にも大きな地殻変動を経験してきた。たまたま今の日本ではそんなことが起きていないだけで、九州全島を覆い尽くす火砕流とかが過去には発生している。日本中に多くの火山やカルデラがあり、大規模な噴火がこれからも必ず起きるのだ。
がれき撤去に関して能登半島地震と東日本大震災の大きな違いがある。東日本大震災の時は津波によって流されたためにがれきは基本的に所有者不明のがれきだった。しかし能登半島地震は家がその場所で倒壊しているので、がれきの所有者がわかっている。もしかしたらその中にはゴミではないものも存在するわけで、簡単に撤去するわけにもいかないのである。なかなかがれき撤去が進まないのはそういう理由があったのだ。2ヶ月も経過したのに能登半島ではほとんどそのままの状態の場所が多いのである。
オレは紀伊半島をクルマで走ってる時にはいつも「南海トラフ地震が今起きれば死ぬ」と覚悟を決めて運転している。そんなことを気にし出すと、和歌山県の海岸近くに人は居住できないということになってしまうわけで、「恐怖を煽るな」と叱られそうなんだが、オレが白浜や那智勝浦の住人ならば、「安全なところに引っ越す」ということを本気で考えていただろう。
3・11では多くの親が子を亡くした。子が親を亡くすことと、親が子を亡くすことは意味が大きく違う。親は基本的に自分よりも先に死ぬものだが、子や孫が先に亡くなるなんて誰も考えない。そして自分の子や孫をすべて失うということは、未来の可能性の全てを奪われるに等しいからだ。TVで体験を語る親たちの姿を見るといたたまれない気持ちになってチャンネルを変える。そんなつらい気持ちをどうして語らせるのだろうか時に腹が立ってしまう。
どうすれば災害で死なずに済むのか。どうか建物の耐震性にまず取り組んで欲しい。一瞬に崩壊して住人を押しつぶすような家は、家そのものが凶器なのである。そんな欠陥住宅を日本から一軒残らず無くして欲しい。オレはそれを強く願うのである。
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