2023年08月27日(日) |
福島に汚染処理水湖を作れ! |
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これはふざけて書いた文章ですので、内容に関してまじめに怒らないでください。
福島原発の汚染処理水の海洋放出がはじまった。中国政府が早々と日本産の水産物の輸入停止を発表するなどしていて日本漁業関係者は衝撃を受けている。それにしてもなんで海に捨てなければならなかったのだろうか。敷地内に大きな池を作ってそこに貯めればよかったのにと思うのである。
もちろん大きな池には渡り鳥も飛来するだろうし、いつのまにか魚やカエル、そして水棲昆虫も住み着くだろう。その生き物に起きる変化を研究することが、これからの原発と人との共存や、福島原発の今後の廃炉計画、そして帰還困難地域へ人々をどのように帰すことができるかと考えるための貴重な資料となったのである。
航空写真では大量のタンクが敷地内に並んでることがわかるが、巨大な池を掘ればタンクとは比較にならない大量の汚染処理水を貯めることができる。それでいいのじゃないか。いずれ水は蒸発して空中に飛散する。海に流すよりもずっとマシである。
もしもあなたの隣人が、「家のトイレの処理水を家の前の川に捨てていいですか? 大腸菌は無害な程度ですし、水道水で薄めて流しますので」と言われたらどうか。その川ではあなたも釣りをして時々釣った魚を食べているとする。きっと不愉快な気分になるはずだ。そこで「処理水は安全だから文句言わないで」と逆ギレされれば、「こいつ頭おかしいな」と思うだろう。その頭おかしい状態になってるのが、福島原発の汚染処理水を海洋放出することに熱狂的に賛成している国民やホリエモンである。
その隣人が「処理水を川に流すことをやめて、家に池を掘ってそこに貯めることにしました。魚の養殖もしてみます」と言うとあなたは安堵するだろう。その養殖魚を食用に勧められてもちょっとためらうだろうけど。
福島原発も海にいきなり流すのではなく、とりあえず敷地内に貯めればよかったのである。その貯めた池のまわりを緑地公園にして、処理水と親しむ親水施設を作って、政治家の家族はそこで遊ばせることを義務づけて、「処理水はこんなに安全!」とアピールして、売店では「処理水サイダー」「処理水酒」「処理水ビール」などを販売し、周辺に田んぼを作って「処理水米」を販売して「処理水グッズを買って、原発復興を支援しよう」という形でアピールすればよかったのである。
福島原発の事故は不可抗力の天災ではない。原発事故というのは絶対に起こしてはならないものであり、そのための防災予算はいくらかけても十分とは言えないのである。たかだか200億円ほどで建設できる防潮堤の建設費や、たかだか100億円程度でできたであろう原子炉の冷却装置用の緊急時の自家発電装置などにきちんと投資をしなかったために起きたいわゆる「人災」である。経営判断のミスによってそのような大規模な事故を起こした東電の経営陣は全員が終身刑にされてもおかしくはないとオレは思っている。
ところがその罪人達は全員何の責任も問われず、退職金をがっぽりもらって悠々自適の老後である。そして多くの人々が故郷を追われ、二度と家に帰れなくなったのである。どうして日本の裁判所はそこで正義を実現できなかったのか。
津波によるこのような被害は予測できなかったと裁判では東電側が主張してたが、そんなことは原発の弱点をあれこれ考えた高校生でも予測できたのである。全国教室ディベート連盟が主催する全国中学高校ディベート選手権(ディベート甲子園)では、「原発は津波に弱く、非常用電源は水没すればたちまち機能不全に陥る」と主張した高校があった。高校生でもわかることが予測できなかった東電の経営陣や技術者は、そのボンクラさえ故に日本にここまでの危機を与えた。全員丸坊主になって全裸で皇居の前で土下座し、日本中を謝罪行脚しなければならないほどの罪を犯したのである。
たかだか「コストが抑えられる」というだけのくだらない理由で海洋放出を決めた東電と政府は、過去と同じ愚をまたまた犯したのである。本来東電のやるべきことは、絶対に中国政府に文句を言わせないような処理水対策だったのではないか。汚染処理水を中国政府に送り、「どうぞこの水をあなたがたが存分に調べてください」と相手に判断を委ねることではなかったのか。その上で中国政府が「これは危険だ」と答えれば、絶対に今回のような海洋放出に踏み切るべきではなかったのだ。
今ならまだ間に合う。政府は即座に海洋放出を中止して、敷地内に「汚染処理水プール」を設置して、そこにため込んだ水を自然の蒸発に委ねるべきである。そうすれば中国に「輸入禁止」を止めてもらうことができる。その政治決断ができるのは岸田総理だけだ。あのボンクラがそんなことを思いつけるわけもないのである。
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