オレの職場は大阪の中心部なんだが恵まれたことに地下に大駐車場があってクルマで通勤できる。ただ、大雨の時などはふだん電車で来る人もクルマで来たりするので、用意された駐車スペースがいっぱいになることもある。
その駐車スペースだが、誰がどこに駐めるかというのは暗黙の了解で決まっていて、いつも同じような並び方になる。オレがいつも駐めてるところには他の人は基本的に駐めないのである。このような「予定調和」の状況がふだんは起きているのだ。ところが大雨でふだんクルマ通勤しない人が駐車場を使用するとどうなるか。この「予定調和」が崩れてしまうのである。
早めに出勤しないと、ふだんオレが駐めている場所が他の社員に奪われてしまう。そういうわけでオレは早めに家を出ることになるのだ。だが常にそういう余裕があるわけでもない。出勤時にちょっとした忘れ物をして家に取りに戻ればそれだけで朝の貴重な時間を5分、10分と無駄にすることになる。家を出る時間が5分遅れれば、混雑はそれだけ増すのだ。大阪市内に向かう幹線道路は基本的に渋滞していることが多い。
オレがクルマを駐めようとすると、オレの定位置が若手の社員に占拠されていて、やむなくオレは駐めにくい場所に駐車するということが起きるのである。そういうときに年配の方は「ここはいつも江草が置くからなあ」と空けてくれてるのだが、若手の社員にはそういう配慮がなく、「空いてる場所に駐める」ということになる。もちろんクルマの駐車場所はどこに置こうと自由であり、どう考えてもオレの方がわがままなのである。
地下駐車場がいっぱいになると、あぶれたクルマは屋外のスペースに駐車することとなる。「駐められない」ということはないのだが、やはり車を降りてから濡れずに移動できることにこしたことはない。そういうわけでオレはいつもよりも早起きしてこのバトルに備えるのである。
この予定調和の定位置だが、それなりに合理性のある場合がある。それは「大きなクルマと小さなクルマの組み合わせ」である。たとえばオレが以前にホンダ・S660に乗っていた頃は、オレの横にレンジローバーとかランドクルーザーとかカイエンのような巨大なクルマを駐めるというのが理にかなっていたのである。もしもデカいクルマが両脇に止まると、そのスペースにはクルマが駐められないということになってしまう。
街に出かけて少し古めの商業施設にクルマを駐めるときに気になるのは、隣にデカいクルマを駐められるとドアを開けられなくなってしまうということである。たとえば京都なら出町柳に市営の地下駐車場があるが、古く狭くどうしようもない。そこに巨大なSUVで乗り入れると身動きが取れなくなって死亡することとなる。駐車スペースも通路も狭く、運転が下手な人が大きなクルマに乗ってここに入ると悲劇が起きる。ハマーなんかはそもそも入り口を通れないのである。
日本が誇る軽自動車は狭いスペースを有効活用できるという意味でとても優れた乗り物である。不必要に大きなクルマは社会の迷惑だ。大きなクルマは税金をもっと高くしてやれというのがおれの持論である。クルマが大きくなると自分まで偉くなったように錯覚する馬鹿は、大阪では基本的に維新支持者に多い。大阪で維新の得票数(馬鹿の人口)が多いという残念なことを「維新スゲー」「吉村スゲー」「そんな維新を支持してるオレってスゲー」と考える残念な人達である。
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