テロとは何か。そうした問いを発したらすぐに我々はあの9・11テロを思い浮かべるだろう。平穏な日々を過ごしていた人が、理不尽な暴力によって突然にその生命や財産を奪われることである。
規模の違いこそあれ、そのようなテロは我々の日常にも存在する。たとえば意味もなく駐車中の車のタイヤをパンクさせて回る行為である。車に傷をつけまくることも同じだ。そのような加害者ははっきり言って市民社会の敵である。このような「たいした理由もなく故意に他者の生命や財産を毀損する行為」に対してオレは「市民テロ罪」という名称を与え、必ず死刑にしてもらいたいと本気で思っている。そういうクズは社会に存在して欲しくないからである。
故意の器物損壊犯に対して、日本はきわめて罰が軽い。損害を賠償すれば不起訴になることも多い。飯能市の3人殺害事件の斎藤淳容疑者は今回の事件で犠牲になった一家のボルボに意味もなく傷を付けまくる事件を何度も起こしている。この事件が不起訴処分になったのはおそらく親族が損害を賠償したからだろう。しかし、そのような行為をする人間をそのまま放置してよかったのだろうか。
意味もなくモノを破壊する人間はいずれ人の生命も意味もなく奪う可能性がある。オレはそのように考えている。そういう人間にとって「破壊」というのは一つの娯楽なのだ。同様に人への加害行為も「娯楽」なのである。そうした行為を「娯楽」として行えるような人間はこの世に存在してはいけない。もしも存在すれば、二度と社会に野放しにしてはいけないのである。死刑または無期懲役、もしくは措置入院という形で死ぬまで隔離するしかない。
たいした意味もなく他国を一方的に侵略し、多くの人を殺害する国家が絶対的悪であることは誰もが納得するだろう。テロは国家レベルなら戦争と呼ばれるわけだが、その行為の本質が悪であることは間違いない。
我々は国家レベルの悪に対してはどうにもできない。しかし、個人レベルの悪なら法律を正しく行使して正義を実現することができる。平和を実現するということはまずはそこからではないのか。我々の日常を安全にするためには、その安全を阻害する存在は無条件に排除されるべきものではないのか。オレはそのように思うのである。
制御できないような速度で車を暴走させる老人、飲酒して車を暴走させるDQN、そういう連中も全員オレから見ればテロリストだ。オレはそうしたテロリストを絶対に許せないのである。市民に対する無差別テロを行ったものはその中味に関係なく死刑または無期懲役ということにしてもらいたいのである。
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