2022年06月03日(金) |
大阪城公園の思い出 |
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吉村知事が街宣のたびに「昔の大阪城公園は怖くて入りにくかった」という嘘宣伝を言いまくってるので、あえて書いておきたい。河内長野という大阪のチベットのようなクソ田舎出身の吉村知事は、きっと子どもの頃に家族で大阪城公園でお花見をしたこともなく、また「城天」と呼ばれた広場でアマチュアミュージシャンが演奏していたことも全く知らなかったのだろう。かつて「城天」で演奏していてそこからメジャーになっていった人たちもたくさんいるが、あえてそういうことをすべて無視し、大阪の人間なら誰でも「こいつ、嘘ばかり言ってるな」とわかるようなことを言い続ける理由はなんだろうか。
オレはあの吉村洋文という人間は、わかっていてその嘘を強調しているような気がするのである。ナチスドイツの洗脳と同じで、嘘も100回、1000回聞き続けるといつのまにかそれが事実であったかのように人々は錯覚する。維新以前の首長の時代の大阪は活気もなく景気も悪く暗黒時代だったかのように言われ続けると、いつのまにかその嘘を信じるようになるのである。また、昔の大阪を全く知らない若者はだまされやすい。そういうわけで大阪を完全支配して中国の租界にして売り飛ばそうとたくらんでいる維新の連中は街宣のたびに嘘を垂れ流すのである。
維新の会は「党勢拡大」というその目的を達成するために地方の首長選挙に介入し始めた。兵庫県はあっさりと陥落した。長崎県、石川県でも維新知事が誕生した。長崎ではさっそくIRに関する不祥事が発覚した。政治を金儲けの手段と考え、政治家個人の志なんかどうでもよくて、選挙に勝つことしか考えてない維新の連中が増えていくことは国民がますます政治離れすることを意味する。大阪以外の地域では維新の会は「オウム真理教みたいな迷惑なカルト集団」という正しい理解が広まっているようで安心なのだが、大阪はすでに洗脳された信者が多くて大変である。少なくとも大阪城公園や天王寺公園に関しては正しい理解をしてもらいたいのである。
今はもうなくなったが、京橋には昔ダイエーがあった。後にそこはイオンモールとなるわけだが駐車場がとても便利で、ダイエーだった頃はOMCカードを提示するだけで2時間無料で車を停められて本当に便利だった。そこから大阪城公園の方にも歩いて行ける。大阪城ホールでコンサートがあるときは京橋のダイエーに車を停めた。大阪城公園は天守閣以外は無料で、家族連れで賑わっていたことを思い出す。決してそこは「怖い場所」などではなかったのである。
もちろんブルーシートで囲った家を建てているホームレスもいたが、彼らが公園に遊びに来る人たちとトラブルを起こしていたわけでもない。遊びに来る大人たちは、それもまた公園の一つの風景としてとらえていたのである。行政によって排除されて公園から追い出されたホームレスの人たちはその後はどこに行ったのだろうかとオレは逆に心配したものである。「ホームレスがいなくなってよかった」などと維新の会支持者たちはほざいてるが、目の前から消し去ったからといって問題を解決したことにはならない。その多くが貧困ビジネスに囲い込まれ、生活保護費として受け取ったゼニをヤクザに収奪されている現状の方がよくなったといえるのだろうか。
JR大阪環状線に大阪城公園駅が設置されたのはいつだっただろうか。オレが大学生の頃にはまだなかったような気がする。ウィキで調べると1983年に開業とある。築城400年祭、大阪城博覧会に合わせて開業したとある。駅を降りて大阪城の方向に歩くと広場があって、そこで素人ミュージシャンたちが路上ライブをしていて、上手な人のまわりには観衆が集まっていたことを思い出す。それらの風景はすべて「維新以前の大阪」の姿である。
オレは大阪で長く暮らし、大阪を昔から今まで見てきた。子どもの頃に大阪環状線から眺めた砲兵工廠後のがれきの山も覚えているし、梅田にあった闇市のような一角も記憶にある。天王寺駅の歩道橋では手足を失った人が「戦傷者」という木札を立てて座っていて、母が空き缶に硬貨を入れていたことも覚えている。自分が見てきた大阪の姿はリアルな現実を常に伝えてきたと思っている。大阪城公園に関するデマを発信し続ける吉村知事はクソ野郎だと言い続けたい。自分の住む街へのヘイトスピーチをするクズ野郎が知事であることが恥ずかしい。
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