2022年03月29日(火) |
神戸新聞は維新応援団 |
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西宮市長選挙が終わった。現職の石井さんが大差で勝利し、維新の増山候補を破ったわけだが、投票日の前に神戸新聞は「西宮に維新市長誕生なるか」などという見出しをつけていて、オレは違和感を覚えたのである。
これが阪神タイガース御用達のデイリースポーツならわかる。「阪神優勝なるか」という見出しを付けるのがごく普通に行われている。それは阪神ファンが読むことが前提だからである。
しかし、維新支持者(愚民)というのは世の中のほんの一部である。そんな連中が多数派になったら治安は悪化するし、ギャンブルは流行るし、学校にいじめがはびこるようになってろくなことにはならない。そもそも維新の標榜する新自由主義的な考え方というのは「いじめはいじめられる方が悪い」「DVから子を連れて避難する妻は子どもの誘拐犯である」であることが、維新関係者の発言からうかがえる。そんな世の中に絶対にしてはいけないのである。
新聞が特定の政党に肩入れしたり、政権批判をやめてしまったりするともうオシマイである。戦前の新聞が大本営発表というウソを延々と掲載して国民を騙してきたことを思い出せばいい。
神戸新聞が「維新市長誕生なるか」という見出しを付けたということは明らかにこのクズ新聞社が維新の会の応援団に成り下がったということである。そんな見出しを容認するということは社内のチェック機能が働かず、良識派の記者が冷遇されていることに違いないのである。
オレは広告で満載された新聞というメディアはもう完全に終わったと思っていたが、神戸新聞や京都新聞というその地域の読者に支持された新聞社はゴミ売新聞や3K新聞とは違って良心的な記事を載せ、不偏不党の立場を貫くものだと思っていた。これまでに実績を上げてきた現職の西宮市長をどちらかというと応援し、大阪から侵略のためにやってきた維新の会に対しては批判的に書くだろうと思っていたのである。
ところが神戸新聞は、まるで現職が敗れて維新市長が誕生することを期待するかのような見出しを付けたのである。どうして一方に肩入れするのか。これではまるで神戸新聞が維新応援団のようなものである。もしかして裏で密約でも結んでるのだろうか。もしもそうならとんでもない話である。公正な報道をしないといけない新聞社が、政治家と裏でつながっていて翼賛報道をするなんてことになれば戦前と同じである。
西宮市長選挙は現職の石井さんが当選した。維新の会は馬場伸幸や吉村洋文、松井一郎という党幹部クラスを投入し、街頭演説の際は用心棒のパン屋高石まで動員して、維新市長誕生を阻止しようとする勢力を恫喝したのである。しかし西宮市民の良識が勝利し、維新の勢力拡大がならなかった。
神戸新聞は選挙結果の報道も「維新候補が負けた」という視点で書いていた。あくまで「現職の勝利」ではなくて「維新候補の敗北」なのである。ただ少しだけ救いだったのは【視点】というコラムの記事だった。そこにはこのように書かれていた。
【視点】西宮市長選 「陣取り合戦」に有権者が反発
大阪を牙城とする日本維新の会に、兵庫県西宮市民は街の将来を託さなかった。市長選で維新公認の新人が大差で敗れたのは、現職の実績や公約が評価されただけでなく、維新市長を誕生させることへの「ノー」が大きかった。
首長ポストを握り、身近な行政での「改革」を実績としてアピールして、国政選挙の勝利につなげる。そんな戦略を取る維新は、この市長選を「党勢拡大の足掛かり」と位置付けた。だが市長は幅広い意見に耳を傾け、さまざまな立場や利害にも配慮して、議会を納得させて行政を運営していく立場だ。大差の敗北という結果は「市長の座を『陣取り合戦の駒』にしないでほしい」「市政は特定の党の考え方だけを実行する場ではない」という有権者の意思表示ではないか。
一方、現職は1期目の半分をコロナ対応に追われたが、大きな失点をせず、手堅い行政運営に努めてきた。市政の安定や継続を望む声が再選を後押ししたのは間違いない。だが「維新を選ぶかどうか」という構図で捉えた有権者にとっては、現職は消極的な選択肢となった可能性もある。
赤字基調の財政、児童が多くパンク状態の学校、人口減と高齢化が進む市北部…。調和の取れたまちづくりへ、取り組むべき課題は山積みだ。人気の「住みたい街」が「住みやすい街」になるよう、手腕が試される。(山岸洋介)
一見このコラムは公平に書いてるように見えるが、最後の段落にはやはり「維新応援団」の片鱗が出ている。このコラムに書かれているように、維新の首長選挙参戦の意図は、単なる党勢拡大である。市長はただのコマ、市民は身を切らせるための生贄である。こんな戦力をこれ以上広げたらだめだ。神戸市民は維新の会だけではなく、神戸新聞の偏向報道にも「NO!」を叩きつけてもらいたい。
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