2022年01月27日(木) |
誰が中国を裁けるのか? |
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中国が新疆ウイグル自治区でやってることは明確な人権抑圧である。住民を収容所に送り込み、イスラム教から改宗させたり共産党思想を無理やり押し付けたりする文化的侵略や思想教育は断じて許してはならない。しかし、先進国は過去にこのようなことをどの国もやってきたわけである。100年前にはどの国もやっていたことを今の中国がやってるからと、誰が中国を裁けるのか? その過去の罪にまともに向き合わずに来た国々に対して、中国が「内政干渉するな」と開き直ることはある意味正当な言い分であるような気もするのである。
日本もかつて北海道の先住民であるアイヌに対して苛烈な搾取と文化的破壊を行ってきた。彼らは自分たちの文化や言語を奪われて日本人に同化させられた。沖縄や八重山諸島も同様である。薩摩藩は琉球に対して過酷な収奪を行ってきた。その負の歴史を我々はどれだけ知っているだろうか。
カナダ・ブリティッシュコロンビア州の先住民居住区は寄宿学校跡で93の墓とみられるものを発見したと発表した。同国では昨年、各地の寄宿学校跡から何百人もの子どもの遺骨が見つかり、全土を震撼(しんかん)させてきた。カナダ史の暗部と先住民の強制同化政策について、カナダ人自身はどれだけ知ってるのだろうか。これらの政策はつい最近の1990年代まで行われていたことなのだ。先住民の子ども約15万人が国内139か所の寄宿学校に送られ、家族から引き離された上、母語や伝統文化に触れないまま長期間の生活を強いられたという。それと同じことを今の中国が政策として行っているだけである。カナダ政府には中国の今の人権抑圧を告発する資格はないということになる。
北海道にはウポポイという先住民の文化を学べる施設がある。そこでは過去に和人がアイヌに対してどんなひどい搾取を行ったのか詳しく紹介されている。もちろんこのような施設を作ったからと言って過去の罪が消えるわけでもない。だから単なる偽善に過ぎないわけだが、たとえ偽善であっても「知る」ということには意味があるのだ。現在起きている人権抑圧を「存在しないこと」としてごまかそうとしている中国に対して、「我が国も過去に同じ過ちを犯した。だからこそ二度と起きないように訴えるのだ」という姿勢こそが求められるのではないか。
最近になって有吉佐和子さんの小説「非色」が復刊された。これは戦後すぐに進駐軍の黒人兵と結婚してアメリカに渡り、そこでさまざまな差別を経験する日本人女性の物語である。オレはまだ未読なので読んでみようと思う。有吉佐和子さんは『複合汚染』『恍惚の人』などのような社会に問題提起する形の作品を残されている。数十年前の日本でそうした視点を持って作品を書いた人がいるのである。認知症の老人が交通事故を起こして若者の命を奪う今の時代状況の中で、『恍惚の人』という作品で描かれた老人福祉の問題はいったいどれだけ改善されたのだろうか。
中国の人々が全員、習近平を神とあがめていて台湾への武力侵攻を支持し、その政策を全面的に支持しているわけではないだろう。そこにも必ず心ある人々がいて、少数民族の文化が破壊されることを危惧し、その人権を守ろうとして活動する人がいるはずである。オレはそういう人たちと連帯したいのである。
社会を分断して「あいつらは敵だ」と攻撃することで世の中は変わらない。「大阪を前に進める」と住民を騙して、その納めた税金を巻き上げる連中はただのクズ野郎どもだ。今の日本を変えるためには、社会の構造を根本から変えるしかない。そのためにどれだけ時間がかかるだろうか。
オレがそのことに気づいた時はもう遅かった。老人になったオレには時間はもうほとんど残されていない。ただ幸運なことはオレが教育という世界で働いていることである。オレにはできなかったことを次の世代の若者に託すことだけはできる。腐った日本社会も腐った大人たちがみんな絶滅した後でもっとよい社会になってるかも知れない。CIAの工作員、岸信介の孫である安倍晋三が日本の国益よりもアメリカの国益を重視してきたこともおかしさに気づいた人たちはどんどん増えている。そして「れいわ新選組」という貧しい多くの人たちの生存権を守ろうとする政党が出現した。れいわ新選組は国会で議席を獲得するようになった。その一方で国民を分断し、新自由主義のイデオロギーで庶民を奴隷にして搾取しようとする「維新の会」という勢力が大きく票を伸ばして野党第一党となろうとしている。
社会はどんどん変わっていく。しかし、良い方に変わっていくとは限らないのである。それはこの世にいるのが良い人間ばかりではないからだ。オレはそれが残念でならないのである。
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