1月9日(日)に今年の大河ドラマである「鎌倉殿の13人」の第一回目がNHKで放映された。どんな内容になるのか興味深かったのだが、早速初回の放送で登場人物の中に工藤祐経がいて、伊豆の最大領主である伊東祐親に所領を奪われて怒ってる場面があった。史実ではこの工藤祐経が伊東祐親の子である河津祐泰を殺し、その祐泰の遺児である曾我十郎祐成と曾我五郎時致(曽我兄弟)が父の仇である工藤祐経を討ち果たす。それが「曽我物語」となって歌舞伎などで描かれるわけだ。
工藤祐経の登場で「おお、曽我物語をぶっこんで来たのか」とオレは嬉しくなったわけだが、そのあたり歴史オタクでもないでもない人にはちんぷんかんぷんだろう。大河ドラマの常として、登場人物が増えるとわけがわからなくなってしまうという傾向がある。そこで大胆にも人物を切り捨てる必要があるのだ。松山ケンイチが平清盛をやったとき、オレはテレビを視る父にわざわざ系図を書いて登場人物の関係を説明してあげる必要があったのである。
一年間という長丁場のドラマだけに視聴者をどれだけ飽きさせないかということが求められるわけで、三谷幸喜といえどもそれは簡単なことではない。そしてこのようなドラマの常として「いかに実際の歴史を脚色するか」ということも起きる。「平清盛」では平治の乱の描写として鴨川の河原で平清盛と源義朝が一騎打ちするというありえないほどお馬鹿な場面があったのである。あれには多くの視聴者がのけぞっただろう。しかし三谷幸喜は面白くしようとして話を大胆に変えてしまうのだ。「新選組!」の芹沢鴨暗殺の場面とか沖田総司の最後の場面とかがそうである。なんで結核でふせっている沖田総司のところに明治政府側の刺客がやってくるのか。それを沖田がたちまち斬り伏せるわけだが、ファンサービスのしすぎである。
オレがもしも日本史を教える教師ならば、そうした時代劇のドラマの虚実を毎回授業のネタにしただろう。「○○ではこのように描かれてしましたが、史実はこうです」というふうに語っていたはずである。遠山の金さんは「はりつけ獄門申し付ける」と沙汰を下すが、確か町奉行には死刑判決を下す権限はなかったはずである。
中学生や高校生は大河ドラマを視たほうがいいとオレは思っている。それは歴史の基礎的な部分、その時代の雰囲気を理解し、歴史の流れを知るために重要だからである。歴史上の人物を登場させるゲームもあるが、「戦国無双」なんかをしても受験勉強には何の役にもたたないのである。「戦国BASARA」なんかをしても受験勉強には何の役にもたたないのである。濃姫が股間から機関砲を出すなんてありえないのだ。
最近のNHKの大河ドラマで面白かったのは何だろうか。オレは綾瀬はるかのファンなので「八重の桜」はかなり好きだった。でも、あの作品の後半部分の主人公は八重の兄を演じる西島秀俊だったと思う。「軍師官兵衛」も「真田丸」もなかなか面白かった。
旅行で田舎に行くと、ご当地のヒーローを大河の主人公にしてほしいというさまざまなポスターが張られていたりする。「真田丸」はそうした取り組みがうまくいった例かも知れない。福岡県の柳川市では「立花道雪」を大河ドラマに出してほしいと地元住民が期待しているのかも知れない。道雪は九州での戦いに連戦連勝したことで地元では有名だが、全国区ではない。
大河ドラマに関係した街は観光客に来てもらえる。吉田松陰の妹のおかげで萩が賑わったりするのである。まあそういうわけで街起こしの材料として今後も大河ドラマ誘致は続くだろう。視聴率は昔に比べてかなり落ちてるけれど。
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