2022年01月01日(土) |
正義の実現する世の中を |
携帯用URL
| |
|
2022年をどんな年にしたいのか。オレが唯一望むことは「正義の実現」である。法律を破った人はきちんと罰を受けてほしいということである。自分の選挙区の有権者を東京に連れてきて飲み食いさせ、国費を使って接待した安倍晋三が「不起訴相当」になるふざけた国であって欲しくないのである。このクソ野郎を刑務所にぶち込んでこそ正義は実現するとオレは思っている。
上級国民ならなぜ優遇されるのか。交通事故を起こして人を死なせても、逮捕され身柄を拘束されるということがないのはなぜか。どうして同じ罪でも扱いが違うのか。オレのような下級国民には納得いかないのである。
オレは「れいわ新選組」以外の野党を全く信用していない。昨年の総選挙、どうして野党は「消費税廃止」を旗印に戦わなかったのか。「正義の実現」を主張しなかったのか。もしもそれが選挙の争点になれば全く違った結果になっただろう。自民党、公明党、維新の会を「悪」、それ以外の野党を「善」と規定し、選挙の争点を「善と悪の対決」という形でアピーㇽすれば、自民公明維新に投票するということは「悪」に加担することとなって有権者の投票をためらわせるのに十分だったはずである。そういう戦いができなかった理由は、おそらく枝野が「わざと選挙に負ける」密約をしていたからだとオレは思っている。枝野のようなボンクラを党代表にしているのは、万年野党でいたいからである。もっともだからといって泉健太のような「隠れ国民民主党」を党首にしたらもっとヤバいのだけれど。
与党がどんな不正を行っても、与党の政治家にどんなスキャンダルがあってもマスコミはそれを大きく取り扱うことはない。無視されることもある。批判精神を失って与党の広報紙と成り下がったのが読売や毎日、朝日といった大手新聞社である。購読料収入が大幅に落ち込み、広告収入に依存するあまり電通にその生殺与奪の権を握られている新聞社が官邸の御用機関になってしまうことはある意味必然かも知れない。
大阪は今無法地帯になっている。「法」による支配ではなく、「維新の会」による支配が現実のものとなっている。その行政の方針に異を唱える公務員は処分されたり左遷されたりする。市民の税金は失敗が目に見えているカジノIRのために浪費され、将来巨額の借金として市民が背負うことになる。マスコミは維新の御用機関となり、吉本興業の芸人を使って松井一郎や吉村洋文が理想の政治家であるかのようにもてはやす。吉村洋文が自分のインスタにあげた写真が報知新聞に載るのである。「吉村さんカッコいい」と黄色い声が飛び交うという。それを苦々しく思っているオレのような人間は少数派で、多数派の維新支持者(馬鹿)は全く疑問を感じていないのである。
このディストピアをオレは救いたい。生まれ育った大阪を維新の会のカツアゲから守りたい。そのためにはオレは戦わないといけないのである。維新の会を打倒して大阪を市民の手に取り戻すというのがオレの願いである。
←1位を目指しています。
前の日記 後の日記