7月12日に甲子園で行われた阪神−Dena戦、0−3とリードされた9回裏、阪神は4点を入れて逆転サヨナラ勝ちした。オレはその試合をサンテレビで観戦していたのだが、どうも腑に落ちないことがあった。オレと同じことを感じた人は大勢いたようで、「マルテの3球目」というトレンドワードがネットを駆け巡っていたのである。
3点を追いかける阪神は9回裏土壇場の攻撃で近本、糸原の連続タイムリーで2−3と1点差に詰め寄った。なおも2死1・3塁の場面で打席のマルテがDenaの守護神である三嶋にたちまち2ストライクと追い込まれて、3球勝負に出た三嶋の投球は外角低めに決まるすばらしい一球だった。見送り三振でゲームセットとなるところ、なぜか芦原球審の手は上がらず、ボールの判定だったのである。これは阪神ファンのオレも唖然とした。どうしてあれがボールなのか。2ストライクと追い込んで、一球外してくる投手が多い中で三嶋はあえて3球勝負に来たのである。しかし、その渾身の一球はボールと判定されてしまったのだ。
かつて阪神のエースだった村山実は球審の判定に腹を立て、「こちらは命を懸けて野球をやってるんだ!」と抗議したことがあったという。投手はその一球一球に常に命を懸けて全力でプレーしている。しかし球審の中にはきわどい球を自分のひいきのチームに有利に判定する卑怯な審判もいる。かつてジャンパイヤと呼ばれる巨人びいきのクソ審判のことが話題になったことがあるが、阪パイヤと呼ばれる阪神びいきの審判もいるという。
オレはボールストライクの判定に関しては機械判定にしてもいいといつも思っている。センサーがボールの軌道を読み取って自動判定し、それを審判はコールするという仕組みである。そうした技術は今は可能になっているはずである。他のプレーではビデオ判定を導入している以上、ボールストライクもそうして判定すればいいと思うのである。それが一番公平だ。
渾身の一球をボール判定されたショックから三嶋は立ち直れず、その後マルテにタイムリーを打たれ、次の大山にも初球をセンター前にゴロで抜ける打球を打たれてサヨナラ負けしてしまったのである。
試合終了後、勝利に感極まった矢野監督は泣いていた。度重なる采配ミスでチームに連敗をもたらしたこの指揮官はあの時何を思っていたのだろうか。人知を超えたところに存在したこの1勝の意味をどんなふうに受け止めたのだろうか。もしも阪神が今季接戦の末に優勝にたどり着けるならば、この「マルテの3球目」という誤判定の意味はとても大きなものとなるだろう。
こんなことを言うと必ず「その一球だけじゃない。」「他にも怪しい判定はたくさんあった。」という声が聞こえてきそうだが、決して誤ってはならな一球というものが野球の世界には存在するのである。そうした誤審もまた野球の一つの要素であるという考え方もあるが、やはりボールストライクの判定は正確にしてもらいたいとオレはいつも思うのである。
たまたまこの誤判定のおかげて阪神は勝てた。しかし、本来負けていた試合がこんなと味の悪い形で終わることを阪神ファンのすべてが望んでいるわけではない。オレはDenaのファンの方に申し訳ないような少し複雑な気分になったのである。
←1位を目指しています。
前の日記 後の日記