春は別れの季節である。イルカの歌った「なごり雪」という曲では、離れ離れになるカップルの東京駅での別れの場面が描かれる。3月なら雪が降ることもある。「きみが去ったホームに残り落ちては解ける雪を見ていた・・・」そのせつなさは多くの人が体験したことのあるせつなさであり、共感できるものである。
多くの学校の卒業式も3月にある。高校で机を並べた友は進学や就職でバラバラになっていく。同じメンバーが全員揃うことはもう二度とない。その時の友との別れは永遠の別れとなってしまうこともある。
教員をしているオレは多くの卒業生を送り出してきた。今までにそうして送り出した生徒の数はどれほどになるだろうか。ただ、オレが公立高校教諭だった頃に担任として卒業式を経験したことは一度しかない。公立高校で二度目に担任した学年は最後まで見届けることができないままに大阪府教委はオレに異動の内示を出した。機械的に人事異動を行う大阪府教育委員会からすれば、個別の教員の事情や学校の事情などは考慮する必要は全くないということである。生徒が一人でも多く希望する大学に進学できるようにと進路指導や受験指導に心を砕いて指導し、進学の実績も出してきたオレに対して大阪府教育委員会が与えた次の任務は、大学に入る生徒などほとんどいない偏差値30台の高校への転勤だった。即座にオレは校長に辞表を叩きつけた。それもまた一つの「さよならの春」である。
人は生きている間にどれだけの数の「さよなら」を経験するんだろうか。数年前に父を見送ったのは2月のことだった。まだ桜が咲いてなかったので桜の造花を手向けたことを思い出す。リビングのいつも父が座っていた場所に誰もいないという事実を自分はしばらくの間受け止めることができなかった。そこは今、帰宅したオレが過ごす場所になっている。テレビの前で、パソコンを開いてくつろぐ場所である。おそらく定年退職したあとは今以上にずっとそこで過ごすようになるのだろう。
オレは卒業式の後の最後の場面で、担任した生徒たちにいつも漢詩の話をしてきた。 中国の詩人于武陵が詠んだ漢詩「勧酒」を黒板に書きだす。その時は返り点や送り仮名をつけて生徒が読めるように書く。
勧 君 金 屈 卮 (君に勧む金屈卮)
満 酌 不 須 辞 (満酌辞するを須ゐず)
花 発 多 風 雨 (花発けば風雨多し)
人 生 足 別 離 (人生別離に足る)
そのまま現代語訳してもいいのだが、この詩に関しては井伏鱒二さんの次の名訳が有名である。読みやすいように漢字まじりで表記しておく。
この杯を受けてくれ
どうぞなみなみ注がしておくれ
花に嵐のたとえもあるぞ
「サヨナラ」だけが人生だ
この最後の一句「サヨナラだけが人生だ」というのはとても有名である。その言葉に触発された寺山修司はこのような詩を作った。
『さよならだけが人生ならば』
さよならだけが人生ならば また来る春は何だろう
はるかなはるかな地の果てに 咲いている野の百合何だろう
さよならだけが人生ならば めぐり会う日は何だろう
やさしいやさしい夕焼けと ふたりの愛は何だろう
さよならだけが人生ならば 建てた我が家は何だろう
さみしいさみしい平原に ともす明かりは何だろう
さよならだけが 人生ならば
人生なんか いりません
人生最後の瞬間を迎えたとき、オレはその人生に満足して静かに退場していくのだろうか。それとも多くの後悔に包まれて失意のうちに退場することになるのだろうか。2月12日に亡くなったオレの父は、「今年の桜は見られるかな」と最期まで気にしていた。父が入院していた病院の駐車場には桜の木がいっぱい植えてあり、春は満開の桜に包まれる場所である。
一の谷の合戦で討ち死にした平忠度は、討たれて首を取られる時に名乗らなかったが、鎧の下に辞世の和歌をしのばせていたという。
行き暮れて木の下陰を宿とせば花や今宵のあるじならまし
(旅に歩き疲れてこの桜の木の下を宿にするならば、今夜は桜の花が自分をもてなしてくれるのだろう。)
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