2020年10月17日(土) |
間違った英語学習 |
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高校3年ともなると受験勉強の英語力には雲泥の差が生まれる。東大や京大の問題のような難しい長文を読み込む生徒もいれば、考えて問題を解くところまで至ることができずに単語集をただ眺めている生徒、その単語を覚えるために紙に何度も書いている生徒である。この「単語を何度も書く」という馬鹿な学習法を実践してる国は日本以外あるのだろうか。オレはこういう愚かな行為をしている高校生を見るたびに「新出単語はノートに20回ずつ書け」という宿題を出した中学の時の無能な英語教師を思い出すのである。オレが中学生の時にすでにかなり高齢だったその教師はもしかしたら戦前の教育を受けた人だったのかも知れないが。
授業が自習になって、オレがその自習監督をしているときに生徒を観察しているとどんなふうに勉強をしているかがわかる。ただ参考書を眺めている生徒と、問題を解くために手が動いている生徒がいる。眺める学習は通学の電車でもできる。机がある場所ではとにかく机に向かって書いた方がいい。それも数学の問題を解いたりして「頭を使いながら書く」という学習がいい。何かを書いている生徒の方が、眺めている生徒よりも基本的に成績は良い。唯一の例外を除いて・・・である。その例外というのは「英単語をひたすら書いている」生徒である。何回も書いて覚えるという間違った学習法を高校3年にもなって続けていて、しかもその書いている英単語は「そんな単語をまだ覚えていないのか?」というレベルの単語だったりする。いったい今までどんな英語学習をしてきたのだろうか。
勉強をするときは考えないとダメだ。知識を一問一答で詰め込むこと、一対一の対応でさまざまなものを覚え込むことというのは記憶力の無駄遣いだし、そもそも覚えた知識どうしのつながりがないために役に立たない。
英語力を向上させるには英文を見ながら考えないといけない。どういう意味になるのか、どんな風に訳せばいいのか。それをとにかく必死で考える必要がある。その膨大な時間こそが学習なのである。ところが馬鹿な生徒は英文の中の単語の意味がわかればそれで訳せると単純に思っている。だから馬鹿なのである。そこにあるすべての単語の意味が分かっても訳せないときもあれば誤訳する時がある。それは英語の試験監督をしていて書かれているさまざまな答えを眺めていて思うのである。正しい答えを記入する生徒もいれば、どうすればそんな誤訳になるのか。そもそも日本語になってからの意味が変じゃないかという答を書いている生徒が必ずいる。それは「英語が苦手」というよりは、「英語も国語もできない」からなのだ。学習というのはそれぞれの教科という一領域で完結するものではないのである。極端な話だが、著しく国語力の低い生徒は数学の問題文で問われていることの意味が理解できなかったりするのだ。
文系志望者には「きちんと考える学習」をしないできた生徒が多い。もっとも理系志望者の中には「国語ができない」「歴史の知識を覚えられない」という消極的理由の者もいるので一概に理系の者が「考える」学習ができているわけではないが。
「一問一答式学習」に慣れた生徒は集中力がない。じっくり考えることに耐えられずにすぐに周囲をきょろきょろしたり、他の生徒と私語を交わそうとする。学校がクラスを能力別編成にすると、下位のクラスにはそうした生徒が集まることになる。結果としての成績の差というのはそうした学習への集中度の差、学習姿勢の差が時間をかけて反映したものであり、能力差というよりも習慣や学習態度の差である。
英単語を何度も書いて学習のふりをして自己満足している生徒たちは、もしかしたらもともと受験勉強には向いてなかったのかも知れない。そういう生徒は本来もっと早い段階で別の進路を目指すべきだったのだ。そういう生徒の進むFランク大学はたいてい時間とお金の無駄遣いである。
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