2020年09月25日(金) |
ハンコ全廃止の真意 |
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河野太郎がハンコ廃止、FAX廃止などをぶち上げた。これまでの日本の伝統を完全にぶち壊したいということみたいだが、さまざまな契約書類のハンコをすべて廃止すればいったい何をもって代替すればよいのか。オレはその意味を考えたのである。そしてついに河野太郎の真意が読めたのだ。それは「公文書廃止」という目的である。公文書を残さないですべてなかったことにしたいのである。これからの政治はすべて何も記録を残さないでやっていこうということなのだ。電通がマスコミを抑えてるから大丈夫である。
書類の改竄を命じて赤木さんを自殺に追い込んだ森友事件の裁判で国は改竄の経緯を「公表する必要なし」と主張している。改竄という事実は認めるからそれでOKだろう、賠償金は払うぜということなのだ。
政治家の犯罪をいつも不起訴にしてもみ消してきた便利な黒川消しゴムの定年延長に関する重要な決定は「口頭での決定」だったと森法相から語られたことがあるが、実はこれは河野太郎の方針を先取りしていたのである。ハンコの廃止の真意は公文書廃止なのである。重要なこともどんどん記録を残さずに進めて行く時にハンコをいちいち押さないといけないとか、関係者の閲覧や承認が必要とかとても面倒だ。そういうことを抜きにしてしまえばいいじゃないかということなのだ。
これまではとりあえず黒塗りののり弁がまだ存在した。しかし、公文書そのものを無くしてしまえばさまざまな政治家にとって不都合な真実はそもそも記録がないのでなかったことにできるのである。権力者の犯罪をやり放題にするこのような方針は断固阻止しないといけない。
ハンコ文化はよくないことだろうか。それによって守られてきたさまざまなものがあるはずだ。オレは居住地に印鑑登録してるが、車の購入とか親族の奨学金の申請とか、重要な場面ではその印鑑証明が必要とされた。そういう面倒な手続きによって不正をやりにくくしているのである。不動産の契約関係の事務手続きとかにハンコを必要とすることは大事なことだとオレは思うのである。
河野太郎のくだらないパフォーマンスに付き合う必要など全くない。省庁の中でハンコ不要となることで彼らがやりたいことはどうせ悪いことに決まってる。政治に関してオレは性悪説の立場を常に取りたいので、どうやって彼らが悪いことをしないように監視するかという仕組みはとても大切だ。ハンコ廃止ということが彼らの悪のために使われることはオレから見れば自明の理なのである。
オレはハンコが好きだ。ハンコという日本文化の伝統をこれからも守り続けてほしい。国家の大事な文書には御名御璽が必要だ。全廃なんかできるわけがないだろう。
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