2020年09月24日(木) |
山口達也は入院させろ |
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オレはアル中が嫌いである。たまたまオレの父親は体質的に酒が飲めなかったようだが、ヘビースモーカーだった。その父も心筋梗塞で倒れてからは禁煙した。両親の仲はあまりよくなかったが、もしも父が酒乱だったらどんな家になっただろうかと思うのである。世間にはアルコール依存症の親のために人生を破壊された無数の子たちがいる。給食費、入学金や授業料として必要なお金まで飲まれてしまうという悲劇が実際にあるのだ。酒のために人生を破壊された大勢の人がいるのに、酒の販売は法律で認められている。
麻薬や覚せい剤と違って酒は飲む量をコントールできるからOKという主張がある。そういう論理ならば麻薬や覚せい剤も適切に使えるならばOKということになってしまうのである。実際は違法薬物を適切に使うことはできないし、最終的に人格が破壊されてしまう。そして度を越した飲酒も同様なのだ。
山口達也は正常な判断ができない泥酔状態で大型バイクを運転した。もっとも速度はゆっくりで周囲に危険をまき散らすような状況ではなかったようだが、それはたまたまのことである。信号で停車している車に追突するという形で事故を起こし、その時に飲酒していたということで逮捕された。しかし、否認したままで釈放されたというなんとも不可解な結果となった。逃亡の恐れがないということなのだろうか。
飲酒運転という法律違反の行為に対する罰則は基本的に財産刑である。高額の罰金を払わせるだけだが、ゼニを持ってる人間と貧しい人間とで差があるわけではない。その罰金を払えないと禁錮刑などになるらしいがたいていは払うし、もちろん山口達也も払うだろう。ただ、釈放されて家に帰ったということはまた酒を飲むわけで、酒を飲んで酩酊すれば理性が働くなるわけだ。そうなると前のように強制わいせつ事件を起こすかも知れない。そう考えるとこの男はかなり危険なアルコール依存症患者なのである。その人間に対して「釈放して放置」という判断が自然なのか。もしも次の犠牲者が出たらどうするのか。
オレはいつも飲酒運転の罰として車両没収を付け加えてほしいと思っている。それは飲酒運転する人の多くが「理性では酒を止められない」人たちであり、そういう人は車やバイクを手放すべきなのだ。手元にあればまた乗れてしまうのである。永久に乗らないくらいの強い意志で禁酒や断酒に臨んで欲しいのである。
清原和博が覚せい剤をやめるために施設に入ったように、山口達也も断酒道場に入るとか、酒を飲んだら激痛が走るような薬を処方してもらうとかすべきではないのか。もっともこれからもガンガン飲んで、肝硬変から肝臓がんで死ぬという短命コースという選択肢もある。そういう自己責任的なものまで保険診療でカバーすべきなのかという部分の疑問をオレは感じている。
日本の社会は酒に甘い。酔ってると許されることも多く、酔っていたからという言い訳をするやつも多い。オレはそういう風潮が嫌いである。
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