中国漁船で働いているインドネシア人船員が大量に死亡して、その遺体が海中投棄されているらしい。小林多喜二の小説「蟹工船」で描かれてるような世界が、今実際に起きているという記事を読んだ。以下、その記事の一部を引用しよう。
インドネシア外務省や海外で働くインドネシア人船員の権利保護団体などによると、これまでに中国漁船で操業中に死亡したことが判明したインドネシア人船員は少なくとも16人に上る。
ことの発端は5月6日、韓国・釜山に入港した中国漁船3隻の船団から市内の病院に緊急搬送されたインドネシア人船員1人が病院で死亡したことを地元マスコミが報じたことだった。
同じ漁船に乗っていた他のインドネシア人船員が航海中に密かに撮影した動画を地元テレビ局「文化放送(MBC)」が入手して、証言と共に独占ニュースとして放送したことで事件はさらに大きくなった。
中国漁船側は「死亡したインドネシア人船員は感染症で他の船員への感染の恐れがあり、止むを得ず水葬した」「労働条件は事前にインドネシアの派遣業者、本人とも了解、署名済みだ」と釈明している。
しかし、インドネシア人船員は「死んだ仲間は感染症ではなく、栄養不足や疲労による病気あるいは中国人船員の暴行による外傷が原因だ」「雇用契約書は中国語だけで書かれ、理解できずに強制されて署名した」と中国人船長らと捜査当局に対して食い違う証言をしている。
こうした事態を重く見たインドネシア外務省は、MBCの放送があった翌日の5月7日、在インドネシア中国大使館の肖干大使を呼び出して遺憾の意を表明するとともに「事実関係の調査とインドネシア人船員の労働環境の適正化」を申し入れた。
さらに8日にはスイス・ジュネーブにある国連人権理事会(UNHRC)にこうした過酷な実態を通告し、国際社会に対する問題提起も行った。
これらの記事内容から想像できることは、中国側が事実を隠蔽しようとしてうそをつき、ごまかしているということである。中国は新彊ウイグル自治区におけるイスラム教徒の弾圧に関して「内政問題だ」と開き直っている。しかし、この中国漁船の問題は内政ではなく公海上の問題であり、そこで行われている虐待や殺人はもはや刑事訴追されるべき事件である。
おそらくインドネシア人の中にも中国企業に協力して、仲間を売り渡してるブローカーが存在するのだろう。ただ、そういうクズがいたからといって、中国漁船の船長が免罪されるわけではない。
もしも中国政府に良識があり、国際社会のルールが通用するならば直ちに船長を逮捕し、事実関係を確認して責任者を処罰し、亡くなったインドネシア人船員に対する賠償を行わせるだろう。しかし、そうでなかったならばおそらくこの事件を闇に葬ろうとするだろう。どちらの態度を見せるかは言うまでもなく、おそらく後者であろうとオレは思っている。自国にとって都合の悪い事実は常に「なかったことにする」というのは天安門事件以来の伝統であり、検索もできないようにしてしまうのである。中国のIT技術はもしかしたら世界中のサーバーに侵入して自国にとって不利な事実を消して回るレベルにまで到達してるのかも知れないのである。
正義や公正さというのはその国の民度をはかるものさしである。日本は上に立つ者ほどそれが失われている。政治家や国会議員という地位の人は公然と嘘をつく。高級官僚も平然と嘘を語る。知ってるはずのことを知りませんという。
このまま社会から正義や公正といった価値が失われるということは、今の中国のように政治犯が弾圧を受け、誰も政府の悪に対して抗議できなくなるということである。オレは政治の中で正義を訴えたい。それを常に語れる政治家を支持したい。私利私欲ではなく、真に国民のために行動できる人を支持したいのである。
賄賂をもらって買収されたり、ゼニで偽証させようとする腐った人間が議員をやっていることは、国家や国民の恥である。このままでは日本は現代中国のような暗黒国家になってしまうとオレは恐れるのである。
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