2020年08月08日(土) |
韓国人戦犯の救済を |
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太平洋戦争の終戦後、BC級戦犯とされた人の中には多くの朝鮮半島や台湾出身者がいた。朝鮮人戦犯148人のうち、軍人はわずか3人で、そのうちの一人は洪思翊中将である。多くは軍属として捕虜収容所の監視員などを務めていて、その時に捕虜に対する虐待行為があったということが「戦犯」として認定されるに至った理由である。
オレはこの「戦犯」という罪について考えるとき、それが果たして個人が責めを負うべきものだろうかと疑問を感じるのだ。上官の命令で行ったことに対してどうして個人が責任を負わなければならないのか。死刑判決を受けた者も多くいたわけだが、戦勝国が一方的に敗戦国を裁くこの八百長のような裁判に果たして正義はあったのだろうか。第二次大戦のもっとも大きな人道に対する罪と言えば、ナチスのユダヤ人虐殺と広島・長崎への原爆投下だと思っている。もちろん原爆投下を行った飛行機の搭乗員の罪ではなく。その指示を下したトルーマン大統領こそが死刑に相当するというのがオレの見解だ。
今95歳の李鶴来(イ・ハンネ)さんは生き残った最後の韓国人戦犯である。日本軍の旧軍人には恩給が支給されたが、日本国籍を失った韓国人は恩給の対象外とされ、その一方で韓国では「日本軍への協力者」とみられて迫害や差別を受けた。その悲劇は本人に責任があるのだろうか。どうして日本政府はこのような立場の人を救済しなかったのか。韓国政府が見捨てたのなら、日本政府こそが彼らを守るべき義務があったのではないか。日本軍の一員として戦争に参加した者をどうしてなんの補償もせずに切り捨ててしまったのか。オレには納得できないのである。法律や正義というのは弱者の権利を擁護するためにあるのではないのか。
日本の最高裁は1999年、李さんをはじめとする韓国人戦犯による賠償請求を棄却したという。2006年、韓国政府は彼らを日本の帝国主義による犠牲者と認定したが、日本在住者には何の補償もしなかった。韓国で暮らす人は、医療費の補助を受けることができるようになった。両国の制度のはざまにいて救済されなかった多くの人が存在するのである。
オレは子どもの頃、阿部野橋の歩道橋のところで「戦傷者」と書いて茣蓙の上に座っていた人を覚えている。そうして物乞いをして生きていかなければならなかった人の多くが大阪に住む朝鮮半島出身の旧日本軍の軍人だった人だと後に聞いたことがある。軍人恩給ももらえず。障害を負った体で満足に働くこともできず、そうして物乞いをしていたのである。
朝鮮半島出身で日本軍兵士となった人は24万人いたという。その中には洪思翊中将のように戦犯として処刑された人もいたが、戦後の人生を日本で過ごすこととなった人も多くいた。もちろん日本政府からの軍人恩給はもらえず、日韓両国から文字通り見捨てられたのである。
救済と補償を求めて裁判を起こした李鶴来(イ・ハンネ)さんの戦いは彼が生きている限り続く。戦争によって理不尽に奪われた人生を少しでも取り戻そうとしてついに95歳になった彼に対して、どうして裁判というものはかくも冷たいのか。彼の訴えは果たして間違ってるのか。オレにはどうしても納得できないのである。
政治家が靖国神社を参拝すると中国や韓国から批判を受ける。しかし、靖国神社は戦没者を慰霊するための施設だとオレは思っているし、A級戦犯であってもやはり彼らは戦争の加害者ではなくて国家の間違った政策の被害者であったとオレは思っている。そこにはもちろん24万人の朝鮮半島出身の兵士の英霊も祀られているのである。
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