2020年07月06日(月) |
球磨川水害に思うこと |
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豪雨で球磨川が氾濫して大変な被害が出ている。球磨川の上流にある人吉市は街の中心部がかなり冠水して被害を受けている。ここで必ず出てくるのが「ダムがあれば洪水は防げた」という主張である。確かに球磨川の上流で合流する川辺川にダムを造る計画が反対運動で流れたことは事実である。ではもしも川辺川にダムを建設していたら水害が防げたのかというと、そうとも言えないとオレは思うのである。ダムは一時的に貯水することはできても、その貯水量がダムの湛水量を上回ることはできないわけで、ある程度は治水に役立っても必ず防げるわけでもない。
昨年、長野県で新幹線の車両基地が冠水したという洪水被害があったが、車両基地のあった場所の「赤沼」という地名は古来そこが遊水地のような役割を果たした場所であり、もともと危険な場所だったのに他に適地がないからとそこに建設したわけである。田中康夫知事は堤防の強化などの治水工事でダムに頼らなくても洪水対策できるということを示してダム建設を止めたが、肝心の治水工事は行われなかったのであの洪水を招いた。まあ「ダム建設」という下請けに回す段階でゼニをピンハネしてぼろもうけできる大きな事業の代わりに、工事の規模が小さくて単価が明確で不正ができない堤防の強化などの工事だと業者にも利権政治家にもさしてうまみはなく、その結果何もせずに放置されたということはオレには容易に理解できる。
国や県が発注した事業も、なぜかどんどんピンハネされて下請けに回され、仲介した手数料ビジネスだけで儲ける連中や政治家がいるわけであり、そういう連中を駆除しないと水害の被害は永遠に起き続けるわけだ。今必要なのはダムをつくることではなく、利権構造を打ち破って意味のある治水工事が行われるようにすることである。
新型コロナウイルス関連の給付金の事業や、観光業への支援を目的とした「強盗」じゃなかった「GO TO」キャンペーンも、巨額の手数料が広告代理店やアベトモに入るのである。
人吉市内のホテルに宿泊してい旅ブロガーが、洪水被害について詳細な記事をUPしていたのを読んだ時にオレが感じたことは「アホか」ということである。そこに住んでる人ならまだしも、自由に移動できる旅人がなぜ人吉という逃げ場のない盆地にいたのか。どうしてクルマが冠水するような駐車場に置いてるのか。オレならキャンセル料を払ってでもそのホテルを脱出する。地震は突然来るが、水害は予測可能である。地形からどう考えても危険な場所にそのままいるのは危機管理意識の欠如である。
球磨川流域の市町村には避難勧告が出ていた。危険レベルに応じてその勧告に従って多くの人が安全な場所に移動した。今回特別養護老人ホームという避難や移動に多くの困難が伴う場所で多くの犠牲者が出たわけだが、そこにも避難勧告は出ていたはずである。誰から避難するのか、だれを優先するのか。結局手に入れた情報を個々人がどう判断できるかという問題だったのである。
オレの地元には大和川という周辺の土地よりも川床の高い危険河川がある。もしも堤防が切れたら間違いなく大水害になる。1982年の豪雨で大和川の支流である西除川に大和川の水が逆流して松原市の多くが水没するという大水害が起きた。旅先でオレはテレビを観て愕然とした。あわてて家に電話をかけて親が無事かどうかを確かめたくらいである。それ以来そこまでの規模の豪雨は起きていないが、その一歩手前までの雨は何度か降っている。もしもの時は自分や家族の命を守るための行動を全力で取らないといけないとオレは思っている。
水害は地震とは違う。雨がどれだけ降ってどれくらい危険なのかはかなり精密に予想できる。的確な予報とその対処、そして情報の周知徹底だ。そんなときに犠牲になるのはたいてい情報弱者となる人々なのである。
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