2020年05月27日(水) |
まずいうどんの思い出 |
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1979年の春、オレは京都大学に入学した。そしてさっそく学食でうどんを食べてみた。確かかけうどんが70円だった。みそ汁が10円、小ごはんが50円だったと思う。カレーライスが140円で、ラーメンが110円、夏季限定の冷や麦が90円だったかな。今よりかなり物価の安い当時でも、学食は極めつけに安かったことは事実である。しかし、はっきり言っておいしくなかった。そのメニューはどれもどれも悲しくなるほどおいしくなかったのである。
特にうどんがまずかった。オレは時々ヒガシマルの粉末うどんスープを使ってうどんを作ったが、学食のうどんはその味にとうてい及ばない安定のまずさだったのである。安いから仕方ないとはいえ、どうしてこんなにおいしくないのか。オレはそれが不思議だったのである。
広い京都大学には生協食堂もたくさんあった。中央食堂以外に農学部や理学部のある北部キャンパスにも、薬学部や医学部のある南部キャンパスにも、西部講堂のある西部キャンパスにもそれぞれ食堂があり、うどんが提供されていた。オレは試しに南部キャンパスの食堂でうどんを食べてみた。なんと、汁は中央食堂と全く同じ味だったのである。安定のまずさで同じ汁が供給されていて、その味はいつも同じだった。どうしてこのまずさを維持できるのか。たまには間違えておいしくなることはないのか。そして、作っているあなたたちは自分でこの汁を飲んだことがあるのか。オレはそう問いかけたかった。
貧乏学生だったくせに、オレはおいしいものへのこだわりが強かった。自炊していたのは自分で作った方がおいしいと思ったからだ。学食ではたった140円でカレーライスが食えたのに、オレは時々400円もするビイヤントのカレーを食べていた。ビイヤントというのは今でも存在する、京大病院の前にあるカウンターだけのカレー屋さんである。オレは福島上等カレーもココイチも認めていないが、唯一オレがリピーターになったカレー屋がビイヤントである。今でも京都に出かけたついでにわざわざビイヤントに寄ってカレーを食べることがあるくらいである。
京都には歴史と伝統のある大衆食堂がいくつも存在し、そこではもっとおいしいうどんももちろん提供されている。だから京都大学の学食のうどんのレベルが低かったことは地域性とは別の理由である。それにしてもどうしてあのうどんはまずかったのだろうか。
4コマ目の授業を終えた後で、オレは同じ学年だった台湾人の林くんによく「麺でも食わないか」と誘われた。ただ、その行き先はあまりおいしくない中央食堂だった。もしもそこでもっとうまいうどんが提供されていれば、オレはその時間が楽しみになり、もっと林君との交流を深めていたのかも知れないのだ。林くんは当時、光華寮に住んでいた。光華寮といえば、台湾と中国政府との間で所有権についての争いのあった施設である。台湾出身の林くんは、台湾政府の持ち物であったその光華寮から京都大学に通っていた。
専攻も違い、その後会うこともなくなった林くんが今どうしているのか、20年以上前にネットで検索してみると、その頃の彼は名古屋外国語大学で中国語の講師をしていたことがわかった。大学院に進み、中国文学の研究者となった彼は今はどうしてるのだろうか。そもそもただの遊興学生だったオレのことを覚えてるだろうか。
過去に交流のあった友人で、あの時もっといろんなことを話したかったという人は数多くいるが、その中でももっとも気になるのがこの林くんである。もしもうどんがもっとおいしかったら、もしもその時間がもっと楽しみになっていればとオレは思うのである。
京都大学の学食はすっかり変わって、雰囲気も明るくなったしメニューも変わった。勤務している学校の行事で京都を訪問した時に中央食堂に入ってみたが、オレは迷わずおいしそうに見えた海鮮丼を注文して食べた。うどんの汁の味がどうなったのかを検証することをすっかり忘れていた。
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