2020年05月28日(木) |
替え歌についての考察 |
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春歌とは何か。それは替え歌の中でも特にエロい内容に特化したもののことである。大学生の宴会の時などに酔っぱらった連中が大声で歌うのである。よくできた春歌を聴くと、ついつい笑ってしまうのである。できるだけ元の歌の歌詞やコンセプトを活かしつつ、高度なユーモアを交えて作られる春歌はひとつの文学であり芸術であるとオレは思っている。
そうした春歌の中にはyoutubeに投稿されているものもある。オレはさだまさしの有名な「関白宣言」という歌の替え歌である「淡白宣言」という歌を聴いたことがあるが抱腹絶倒ものであった。今はその歌は削除されてしまったようだが、その作者のことば選びのセンスにとにかく脱帽したのである。
春歌にしやすい歌というのが存在する。平井堅の「大きな古時計」はよく替え歌にされていたが、それは古時計が古チ〇コになるというバージョンがもっとも多かった。「今はもう動かない」という歌詞や、振り子がブラブラ揺れていることがあるものを連想させたわけで、そういうくだらないものが大好きなオレはyoutubeに存在する多数の替え歌をついつい楽しんでしまうのだった。
オレが大学のサイクリング部で活動していた頃、宴会芸といえば春歌だった。当時流行していた歌を上手に替え歌にして披露すると絶対にウケる。次のコンパまでに新しい春歌を完成させないといけない。懸命に歌謡番組を聴きながら必死で歌詞をメモして、替え歌の歌詞を考えるのである。各大学の宴会担当部員が必死で替え歌を考え、そして交流会で披露するというくだらないことをしていたのである。もしもyoutubeのようなものが当時あれば、そこに大学サイクリング部の方々が作った春歌がどんどんUPされたような気がするのである。
オレは記憶力に自信があったので、たくさんの春歌を記憶できた。今でも多くの春歌を覚えてはいるが、それを披露する機会はもう永久にない。どんなにすぐれた春歌もオレが死ぬと伝承者がいなくなるのである。生きてるうちに動画の形で残さないといけないとは思うのだが、オレが歌うわけにもいけないので歌の上手な方の協力が必要だ。
ラリーと呼ばれた大学サイクリング部の交流会では各大学ごとのスタンツがあり、そこで披露された春歌をオレは忘れられない。神戸大学サイクリング部のマ〇コ節、大阪産業大学のオ〇ニーマーチなどのすぐれた春歌をオレは覚えている。
鹿児島大学のサイクリング部には、恐ろしく卑猥で聴いた人が卒倒するほどエロい、「ボボの歌」という春歌がかつて存在したらしい。しかし、オレがサイクリング部に在籍したころにはどうやら伝承者が途絶えてしまったようでオレは題名しか知らないのである。
第二外国語でドイツ語をとっていたオレは、ベートーベンの第九のエロい替え歌をドイツ語風に歌うという芸を他の大学の方から教えてもらってマスターした。それを宴会で披露すると「いかにも京大らしい」ということでウケた。しかし、井上ひさしの「吉里吉里人」という小説の中にその歌詞に似た替え歌を発見し、どうやらその元ネタは戦前にさかのぼるほど歴史と伝統あるものであったことを知って驚いたのである。しかし、この替え歌はどんなにyoutubeの中を検索しても発見できなかった。あまりにもお下劣な内容なので削除されてしまうのかも知れない。
柳田国男は「遠野物語」をまとめる際にアダルトな内容の民話を切り捨てたと言われている。民俗学という分野の中で「性」に関するものを切り捨てるというもったいないことを彼がしてしまったことは大きな損失であった。歴史の中に埋もれてしまい忘れ去られるようなそうした文化もオレは大切にしたいと思っている。
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