さて、緊急事態宣言は結局延長されることとなった。ここまでの安倍晋三の戦略がいかに失敗だったかを時系列を追って考えてみよう。
2月 春節の中国人観光客を減らしたくなくて、入国規制をためらった。
3月 オリンピックを開催するため、検査数を絞り込んで感染者数を少なく見せた。
4月 医療崩壊を恐れて、検査数を絞り込んだ結果、隠れ感染者を増やした。
5月 思ったよりも感染者が減らないので緊急事態宣言を延長した。
諸外国と比較した日本の特徴は、検査数の少なさである。人口当たりの検査数はコロンビアと同じ程度で、先進国中最低の数字である。感染者の家族や濃厚接触者であっても、症状が出ていなかったら検査してもらえなかったりする。その一方で橋下徹は平熱なのに検査してもらえたし、プロ野球選手や政治家、一部の上級国民には裏のルートがあるようですぐに検査してもらえる。命の価値は平等ではない。
検査数を一気に増やして隠れ感染者をどんどん発見して隔離するという手段を徹底した国々は、次々に経済活動を再開している。ところが日本の検査数はあまりにも少ないのである。検査数を抑えれば医療崩壊を防げる。医療崩壊は防げたが、経済崩壊はさらに進んでしまったというのが現実である。
今のやり方を続ける限り、感染の終息はない。安倍晋三は「長期戦」とうっかり言ってしまったが、中国も韓国も「短期戦」で決着をつけようとした。それが成功したのかどうかはまだ現時点では判断できないが、ここで日本国民が理解しておかないといけないのは、安倍晋三が「長期戦」というものを選んだということである。「短期戦」に持ち込んで一気にカタをつけることができるものを、わざわざ長期戦を選んでいるのである。そして多くの御用学者がその方針を指示していたのである。「むやみに検査数を増やすと軽症者がどんどん医療機関に殺到して医療崩壊を招く」と検査数を絞り込む政府の方針を指示していた馬鹿学者が大勢いたが、そうして絞り込んだ結果、検査してもらえないから感染に気付けなかった人が医療機関に殺到して結果として院内感染による医療崩壊につながってしまったのである。
日本の感染爆発がこの程度で済んでることは単なる僥倖に過ぎない。もっと徹底した形で対策を立てていれば今頃は終息宣言できていたはずである。政治家の無策に国民が耐えさせられているというのが今の状況だ。
トップが馬鹿だと国民は苦しむし、死なないでもよかった人の生命が失われる。過去の世界の歴史はすべてそうだった。この終わりなき戦いにいつまで我々は耐えないといけないのか。馬鹿のふりかざす精神論や役に立たないマスクよりも、国民が求めるのは今を生きるためのゼニである。ペットと戯れてる場合じゃないんだぜ。
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