2020年03月10日(火) |
3・10を忘れるな! |
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明日、3月11日は東日本大震災の起きた日ということで多くの人が記憶している。しかし、その前日、3月10日が10万人の犠牲者を出した東京大空襲の日であったことを知る人がどれだけいるだろうか。戦争が終わることが決まってから米軍が余った爆弾を生きてる人間の上に捨てに来た8月14日の大阪の空襲と共に、決してこの残虐行為を我々は風化させてはならないのである。第二次大戦の中でオレが二大戦争犯罪と主張しているのはいうのは、ナチスによるユダヤ人虐殺と、広島長崎への原爆投下だが、犠牲者の数としてはこの東京大空襲は原爆投下にも匹敵するものである。また、その非人道性に関しては他に例をみない。住民を焼殺するというただそのためだけに行われた許しがたい行為である。
3月10日の東京大空襲の時に狙われたのは、木造住宅の多い下町エリアだった。しかもこの界隈は川がある関係で多くの木造橋が存在し、それらの橋が焼け落ちて逃げ道を無くした住民が折り重なって川に逃げ込んだことでさらに被害が大きくなった。米軍は住民の逃げ場がなくなるようにまず周辺部に焼夷弾を投下し、そこから中心部に焼夷弾を投下するという「どうすれば多くの住民を殺せるか」ということを効率的に実行した。このような残虐な計画を実行した連中をオレは断じて許せないのである。この空襲を指揮したカーチス・ルメイ将軍は、本来なら戦争犯罪者として処刑されるべき男であった。
ところが1964年12月7日、カーチス・ルメイは日本に返還されたばかりの入間基地で、勲一等旭日大綬章を浦茂航空幕僚長から授与された。理由は日本の航空自衛隊育成に協力があったためである。この授与は第1次佐藤内閣の閣議で決定されたという。通常なら勲一等は天皇陛下が授与(親授)することになっているが、昭和天皇陛下はなさらなかったので代わりに航空幕僚長が授与したのである。陛下はこのようなクソ野郎に勲章を与えることにどうしても納得できなかったのだろう。
この3月10の空襲からもう75年が経過した。あの空襲の中を必死で逃げた記憶のある人もどんどん少なくなっていく。だからこそこの事実は風化させてはならないのである。このような悲劇があったことを後世に伝え、犠牲者を慰霊することが現代を生きる我々の務めなのだ。
東京大空襲の後、大阪や名古屋という大都市だけではなく、富山市や郡山市などの地方都市もどんどん大空襲の犠牲になった。夜間に低空からの爆撃で効率的に目標物を焼きつすくという非人道的な作戦は日本中で多くの犠牲者を出したのである。そして東京裁判という戦勝国側からの一方的な裁きが行われ、米軍の多くの加害行為はすべて免罪されたのである。
金儲けのために人を効率的に殺す道具を生産する兵器産業、軍需産業というのはアメリカの主産業である。どんな高額な兵器を作っても、安倍晋三みたいに税金でそれらをポイポイ買ってくれる馬鹿や、ゼニをいくらでも持ってるサウジのムハンマド王子みたいな人たちがいるから買い手をわざわざ探す必要もない。そうした軍需産業がウラで政治を牛耳ってるから、アメリカの歴代大統領は誰も逆らえない。下手に逆らうと殺されるか失脚させられてしまうのである。
このような世界の枠組みを変えることができるのは日本のような国だけだとオレは思っている。早くアメリカの核の傘から離れ、中国やロシアの核に対してもきちんと抗議するような政治指導者が出てきてほしいとオレは願うのだ。今の歪んだ世界の体制をそのまま未来の人類に背負わせてはならないのである。
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