2020年01月09日(木) |
冬が無くなるということ |
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1月というのに毎日のように暖かい日が続いている。3月や4月のような気温である。この冬はこのまま寒波も来ないで終わるらしい。ということは冬が来ないようなものである。豪雪地帯と呼ばれる北陸でも雪はほとんど積もってないらしい。雪という形で大量の水が蓄えられるからこそ雪解け水が豊富にあるわけで、その雪がないとどんなことになるのだろうか。
北海道では雪まつりに使う雪がないという。多くのスキー場が雪不足でオープンできない状態である。このまま雪がなくなってしまうとすると、雪を目当てにした多くのビジネスが成立しなくなるのである。本当にそれでいいのだろうか。
豪雪地帯の人にとって、雪が無くなってしまうことは雪下ろしなどの作業が不要になるので喜んでいる人もいるかも知れないが、果たしてそれだけで済むのか。雪国が雪国でなくなることは、逆に失うものがたくさんあるのではないか。雪があることが当たり前だった生活から雪が消えてしまうことでいったい何が起きるのか。
オレがホンダ・S660を所有していた4年3か月の間に雪は降らなかった。全く降らなかったわけではないが、クルマで走ることに支障が出るような積雪は一度もなかった。もしも雪に降られていればとても困っていただろう。エンジンをミッドシップに搭載するS660のようなクルマは雪道が苦手なはずである。結局、一度もそれを試すことはなかったのである。
20代の頃、冬になるとタイヤチェーンを積んで信州のスキー場に行くのが常だった。幹線道路は除雪されていたが、夜になると気温が下がって路面は凍結したわけでタイヤチェーンは必須だったのである。国道を外れてスキー場に向かう道は必ず積雪していた。白馬の民宿に泊まれば、白馬乗鞍とか栂池高原、八方尾根という大きなスキー場が間近だったのである。そうしたスキー場は雪不足に苦しみ、そのうえ客自体が減少してしまっている。雪という観光資源を失ってしまえば、いったいどんな魅力が残ってるのか。
雪が無くなれば、そこはただの少し寒い場所でしかない。その「寒さ」も失われたとき、いったいどうなっていくのか。
オレは以前にこのブログで「四季が無くなった」ことについて書いた。しかし、それだけではなくて冬もなくなったとしたら後には何が残るのだろうか。ものすごく暑い夏と、それ以外のなんかどうでもいい3つの季節ということなのだろうか。秋らしくない秋、寒くない冬、春らしくない春、そしてめちゃくちゃ暑い夏という情けない四季がこれからの日本のデフォルトになってしまうのか。
冬が冬でなくなり、夜の間に氷が張ることや時々雪が降ることが日常でなくなった時、子どもたちの親しんだ童謡はもう想像上の世界になってしまうのである。「雪やこんこん」と歌っても、雪など「来ん」のである。
暖かい冬が普通になった時、日本の古きよき生活文化である「こたつ」というものも不要になっていくのだろうか。オレはこたつが好きだ。これは最高の暖房器具であると信じて疑わない。こたつのない日本の冬など、もうそこは日本ではないのである。
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