2020年01月08日(水) |
ゴーンの言いたかったこと |
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日本の司法制度はクソである。これはまぎれもない事実だ。冤罪の可能性があっても強引に自白させ、それで有罪に持ち込むというまるで戦前のようなことが今でも行われている。無罪につながる証拠があってもそれは存在が握りつぶされてしまうのである。そして検察の描いたシナリオ通りのストーリーで犯罪の中味は説明されてしまうのである。
オレは中国の司法制度はクソだと思っている。中国を評価している部分は薬物犯罪がどんどん死刑にされてることくらいで、政治犯などに関しては共産党の意向に従って拘束される。だからもしも冤罪で中国で拘束されれば絶望するだろう。本当のことを話せばきっとそれでわかってもらえるという信頼ができないからである。
もしもオレが中国で突然身柄を拘束され、そのうえでオレがプライベートジェットとかを持つ大金持ちで賄賂を駆使したりして脱出が可能ならばきっと脱出するだろう。それを日本に置き換えたのが今回のカルロス・ゴーンの行動である。
ゴーンの妻に偽証容疑で逮捕状が出た。国会で偽証してる連中は官僚や政治家の中に腐るほどいる。どうして誰も捕まえないのにゴーンの妻なら逮捕状を出すのか。ゴーンの妻よりも安倍晋三の妻の方がはるかに国民に迷惑かけてるじゃないかとオレは思うのである。結局日本の司法制度は政治家によって恣意的に運用されるのだ。公正さなんてどこにもない。正義なんて全く無視されてるのである。
ゴーンが日産自動車を私物化して、会社のゼニを自分のフトコロに入れまくったというのはおそらく事実なのだろう。しかし、税金という国民のゼニを私物化してる政治家どもの罪はもっと重いのじゃないのか。そのゼニで交通違反の反則金を払わせてる稲田朋美なんかはどうなんだ。そっちのほうがよほど問題じゃないか。
本来ならゴーンは日産内で告発されるべきだった。それがコーポレートガバナンスというものであり、告発されれば取締役解任という形でその地位を追われ、ちょろまかしたゼニの賠償を求められるという形で決着がつく。ところが日産の経営陣の中にはゴーンへのごますりで出世した者もいるわけで、今回のような方法でしかゴーンを排除できなかったのである。政治家を利用し、うまく検察を動かしたのである。検察はいつだって本当の悪人は捕まえない。それは「桜を見る会疑惑」でも「加計学園疑惑」でも同じである。官僚の仕事は国民に奉仕することであり政治家のしもべではない。そこで事実が記録されている公文書を出せばそこで政治家の犯罪はすべて明らかになる。官僚がそれをもみ消して犯罪に加担してるのは国益をどれだけ損なってるだろうか。
ゴーンは日産自動車に何も貢献しなかった。ただのコストカッターであり、モデルチェンジするたびに不細工なクルマになってしまうという日産の企業文化に何も影響を与えられなかった。きっと彼も美しいクルマとは何かということがわかってなかったのだろう。その程度のお雇い外国人に頼るしかないほど日産には人材はなかった。まだ大学生だった頃のオレは日産が不人気車バイオレットをFF化してフルモデルチェンジして、さらに不細工な3兄弟にしたときに深く絶望した。こんな車を平然と出せるメーカーは滅びると思って工学部の先輩に語った。するとその先輩は「技術の日産は不滅だ!」と答えたのである。どちらの予想が当たっていたかははっきりしている。オレの予想したとおりに日産は凋落し、そしてせっかくの人気車をモデルチェンジのたびに失っていった。
スカイライン、プリメーラ、マーチ、シルビア、マーチ・・・ 不細工にモデルチェンジしてユーザー離れを起こして崩壊した日産車はたくさんある。そんなこともわからないほど日産の経営陣は馬鹿ばかりだったのである。先見の明があったまだ大学生のオレをCEOに起用していたら今頃日産は世界に冠たる自動車メーカーだったかも知れないのである。
ゴーンは日本の刑事司法に対する批判を「逃亡」という形で表現した。司法制度の欠陥は事実である。日本にはおかしな法律がたくさんある。しかしオレは日本人である以上、悪法だから破っていいという主張はしない。悪法も法である以上従うしかないのである。オレはこの国に生まれてしまったのである。
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