2019年12月30日(月) |
宝くじを買うのは馬鹿 |
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年末ジャンボ宝くじの売り上げが伸びなかったという。賞金は高額化するわけで、ますます当たらなくなったというのが実際の所だろう。そもそも還元率が5割に届かないそんなギャンブルにどうして群がるのかとオレはあきれるのである。
オレは宝くじなど買わない。そんなものに投資するならまだ競馬の馬券を買うほうがいい。そっちなら還元率は75%ある。そして株式投資や為替取引ならば胴元の取り分が少ないのでもっと儲かる。
宝くじを買うのは貧しい人が多いという。実際の所、宝くじは馬鹿な貧民から搾取する装置にしかなっていないのである。勝った瞬間に半値になる株を誰が買うだろうか、テラ銭が5割の公営ギャンブルに誰が行くだろうか。そういうふうに考えたとき、こんなに還元率の悪いものがいまだに存続し、多くの人が購入しているのがオレは不思議でならないのだ。きちんと学校で「宝くじを買うのは馬鹿」「株式投資したほうがずっと賢い」などと教えるべきだろう。
もっとも今の株価は官製相場で、公的資金や日銀の買いで吊り上げてるわけで、適正価格とはとても言えない。一度暴落して金持ちがみんな資産を吹き飛ばしてから、落ち着いたところで買うのが賢いのかも知れない。
宝くじで高額当選した人は分不相応な大金を手にしたために身を持ち崩す人が多いという。当たってもそういう悲劇があるし、当たらなかったらただの浪費だし、そう考えればこんなものは百害あって一利なしである。
宝くじの収益金はさまざまな社会的な活動に使われている。ヤクザが博打で儲けた金はそのままヤクザがよくないことに使うわけだが、宝くじの場合は少なくとも負けた分のゼニは社会をよくするために使われるのだ。そう考えると、「投入したゼニの半分は寄付行為」であるという認識を持てばいいのかも知れない。
そうなると「馬鹿」は言い過ぎである。タイトルのことばは撤回しよう。宝くじを買う人たちは善意の人たちである。買った瞬間にその半分を寄付しているのである。宝くじを1000円買うということは、500円を寄付しているということなのである。もっとそこを強調すればどうか。半分は恵まれない人たちへの寄付なんだと思えば、負けても納得いく人もいるだろう。「宝くじが当たらないこと」=「善意の寄付行動」という見方も可能なのである。
いっそ、税金をみんな宝くじで運営できないだろうか。だったら世間の重税感はなくなるだろう。しかし、オレが今支払ってる税金はとても大きな金額である。その倍の金額の宝くじを買うほどオレは馬鹿ではない。金持ちほど宝くじなんか買わないからたいした売り上げにはならないのである。
さまざまな会社を運営していて利益を上げている地方自治体が税金(地方税)なしを売りにして住民を集めるという戦略があれば面白いかもしれない。また、還元率が95%くらいある「当たる宝くじ」を売り出すところがあってもいいとオレは思うのだ。
泉佐野市は「ふるさと納税」の仕組みの裏をかいてそれを収益事業にしようとたくらんだ。その結果、総務省ににらまれてついにふるさと納税の仕組みの対象から外されてしまった。
ネット投票の仕組みをうまく導入して公営ギャンブルは売り上げが伸びているという。カジノなんか作らなくても工夫によって現行の仕組みはもっと売り上げを増やせるのである。郵便局もかんぽの不正販売なんかで老人の金をだまして巻き上げるのではなく、全国津々浦々で中央競馬の馬券が買えるような仕組みを作ればよかったのにとオレは思うのである。これもまあトップが馬鹿だから仕方ないのだが。
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