2019年12月26日(木) |
向日市の文化財行政を嘆く |
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西国街道といえば、京都から西に向かう街道として多くの歴史上の人物が歩いた道である。長州藩から上京した維新の志士たちもこの道を歩いたし、伊能忠敬も日本地図を作る過程でこの道を歩いている。その西国街道が通過する京都府向日市に、富永屋という築280年の旅籠が現存している。ただ、その建物は老朽化が激しく、現役の建物だが耐震性などに不安が残るのである。耐震補強などの費用負担を向日市が放棄したため、このままでは取り壊される運命となっている。オレはなんとかそれを食い止めたいし、頑張ってこの建物を守ろうとしている方々に協力したいのである。
新しい建物を作ることは簡単だが、今から築280年の建物を作り出すことはもちろん不可能である。そもそも今存在している建物の中で280年後にも存在する建物がどれだけあるだろうか。280年前の建物で今でも残っているものが日本にいったいどれだけあるだろうか。
京都では多くの町家がマンション建設などのためにどんどん失われてしまった。そうした建物の保全は大変である。その負担を行政側が持ち主だけに押し付けた結果、どんどん不動産業者に売却され、その価値もわからない連中に安値で買い取られて、ミニ開発のマンションが立ち並ぶということになって景観もその土地の文化や伝統も破壊されてしまうのである。
もしも向日市長がこの文化財の価値を理解し、保全しようとして行政側でその費用を負担する気になれば富永屋が解体されるようなことは絶対に起きないだろう。向日市の予算の中に文化財の保全や維持のために使えるゼニは全くないのだろうか。仮に向日市にそうしたゼニを出す余裕は全くないとする。では国から予算を獲得してなんとかしようという熱意のある職員は一人もいないのか。
富永屋はかつて旅籠として多くの旅人に利用されてきた。その建物をうまく活用することで「江戸時代の旅」を体験する観光施設として外国人旅行者の人気を得ることが可能である。今の日本には偽物ばかりがはびこっている。そのまがい物を旅行者が勘違いして「ホンモノの日本」と思ってしまうことがオレは残念でならないのである。
280年前に庶民が普通に旅行できたような国は世界で日本しかない。旅行というのはどの国でも王侯貴族の贅沢な娯楽であった。参勤交代の制度によって整備された宿場町が日本中に存在し、低廉な料金で利用できた庶民向けの宿屋が存在したことは他国に例を見ない稀有のことなのである。その歴史を物語る貴重なこの富永屋の解体を絶対に許してはならないのである。どうかオレのこの記事を読んだ人は一人でも多くの方にこの事実を広めてもらいたいのである。
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