2019年12月01日(日) |
愛校心とは何か? |
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高校の同期会に出席した。卒業してから40年である。社会で活躍されている方々は企業でも取締役になったりと重要なポジションについてる者が多い。40年経っても昔の面影があって、誰だかすぐにわかる。そして懐かしい恩師たちにも再会できて本当に充実した時間だった。
その一方で同窓生の何人かがすでに亡くなったということを聞いて本当にショックを受けた。若くして亡くなった方々はどんな思いを持っていたのだろうか。この世に多くの悔いを残して、どんな無念な気持ちだったのだろうかと思うのである。
オレは自分が出た高校が大好きだった。その学校精神をそのままに体現しているベテランの教員がいて、自分も教師になるならいつか母校の教壇にという気持ちになったものである。そこが自分の所属する世界であるという帰属意識みたいなものがあったのだ。だから今でも母校の校歌は3番まで歌詞を覚えていて歌えるのである。
今の自分があるのは、自分に受験勉強のきっかけを与えてくれた先生方のおかげである。その出会いがなかったら今の自分はなかったわけで、そうした可能性を引き出してくれた先生方にはオレは大いに感謝しているのである。
大阪府教委は人事異動を促進して、10年以上同一校に勤務するということを原則なくしてしまった。その一方で北野高校のような特定の高校にやる気のある教員を集中させ、そこをエリート養成校とした。学区制の存在した時はそれぞれの学区のトップである9校からそれぞれに東大京大を目指すことができたのだが、今は現役で東京大学に入れるような公立高校は実質3、4校になってしまった。オレはある年の進学実績を見て、母校から現役で京都大学にひとりも合格できてなかったことを知って愕然としたことがある。かつては京都大学への合格者を20人以上出していたのに、今はもうその栄光は見る影もないのである。
かつてのオレの母校に入学してくる生徒の雰囲気はがらりと変わった。そして教員はすべて入れ替わった。自分が感じていたあの空気を今の生徒たちは全く共有していないのである。もちろん時代が変わったことは事実である。
今オレが学校に対して何かしたいと思うなら、それは卒業した母校に対してではなく、今オレが勤務する学園に対してである。母校はもはや昔のオレのいたころの学校ではないし、その伝統や校風もすっかり失われてしまっている。進学実績が落ち込んでしまうと、優秀な生徒は他の学校を目指すことになる。その悪循環でどんどん生徒のレベルは下がっていく。
それでもオレは高校3年間の日々を懐かしく感じてしまうのだ。それは決して幸福な思い出ばかりとは言えない。どこか苦しくて、痛みのように切ない日々だったのだ。片思いしていた相手に振られて、何のために自分は生きているのだろうかと悩み、元は医学部という立派な進路を目指していたのに、なぜか文学部というマニアックな道を選んでしまったのだ。それはもうもう取り返しがつかないのだ。人生には無数の「もしも」が存在する。その「もしも」を今から過去にさかのぼって選びなおすことはできない。人間は今をよりよく必死で生きる努力しかできないのである。
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