2019年11月01日(金) |
人生を「浪費」すること |
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空き時間にスマホでゲームを楽しむ人が多い。電車に乗ってるとき、周囲の乗客の多くがスマホをいじっている。スマホゲームをしない私はそれが何なのかよくわからないのだが、少なくともLINEの画面ではないことはわかる。以前にオレの息子が熱中していたパズドラとか、そのほかのパズルゲームとかなのだろうか。そういえばオレの妻も仕事を終えて帰ってくるとえんえんと家事もしないでゲームをしている。その画面を見せてもらったら、なんかテトリスみたいなやつで、升目をただ埋めて消していくだけなのだが、落ちてこないの焦らなくていいとか言っていた。
時間は有限である。人が生まれてきてから死ぬまでの時間というのは有限であり、その時間をもっと有意義に使いたいと思ってるオレは、意味もなくパズルゲームに時間を浪費するわけにはいかないのである。オレの持ってる間はとっても貴重だ。そんじょそこらのDQNどもの時間とは重みが違うのである。
ところがDQNたちにとってはもともと持ってる時間の価値がないのである。労働したところで時給1000円以下にしかならない。生産的な活動が何かできるわけでもなく、パチンコ屋で副流煙の中でゼニを巻き上げられるとか、くだらない漫画を読んで時間を費やすとか、馬鹿同士が集まって雑談するとかという過ごし方と、パズルゲームで時間を浪費することの間には差がないのである。つまり、空き時間を多くの人がパズルゲームなどに浪費しているということは、それらの時間をもっと生産的活動や自身の価値を向上するために使うことができないDQNが増えたということなのである。だからみんなゲームをしているのだ。
たとえばスマホで青空文庫にアクセスすれば、すぐれた文学作品が無料で読める。一生かかっても読みつくせないほどのお宝がそこに存在するのである。オレがもしも電車通勤していたらきっとその時間は読書時間にあてていただろう。しかし、多くのスマホ世代の若者は本も読まないし、そもそも字も知らない。「顰蹙」とか書いても絶対に読めない連中がいつも顰蹙を買うような行動をしている。公衆の場に書かれている注意喚起掲示を全く読めない者が多いということは、もしかしたら日本では文盲率が上昇してるのだろうかという危惧を抱いてしまうのである。
高校生が空き時間にスマホでゲームをしているということは、受験勉強をして自己実現を目指すというのではなくて、ひたすらDQNへの道を歩んでるということである。そもそも本気の受験生には空き時間などない。勉強以外の時間は必要最小限にして、ただひたすら志望校合格のために邁進しないといけないのである。才能の足りない分は努力でカバーするしかない。ところが多くの受験生は素質が劣ってるのに努力も劣っているのである。そんなことで難関大学に合格できるわけがない。
スマホを捨てれば偏差値は10くらいすぐにあがるだろう。でも捨てないから何も変われないのである。有限の時間を浪費してしまって、いつか貴重な人生を「浪費」してしまったことに気づくのは、自分が死ぬときである。いや、最後まで気づかないで死んでいく者も多いのだろう。
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