2019年10月25日(金) |
ゆるやかに滅びるということ |
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勉強しない生徒がいる。もちろん勉強するかしないかは本人の選択であり、本人が全く勉強したくないということならその結果手に入る運命を甘受する覚悟も必要なわけである。努力すべき時期、人生でいうと13,4歳から18歳くらい、中学高校の時期にどの程度勉強したかでどの大学に入れるかということは決まるし、それによって現代社会の中での一つの階級も形成されていく。
オレの両親は中学卒で、オレが18歳だった頃はまだ大学や短大の進学率は3割もなかったと思う。高卒で働く者も多く、オレが通っていた地域トップの進学校の公立高校でさえ、公務員になる者もいたし、三越百貨店に就職した者もいた。全員が大学進学ではなかったのである。
今は逆に進学校の親のほとんどが大卒である。それも有名難関大学が多い。その一方でその子どもはろくに勉強しなかったりする。スマホもあるし、任天堂スイッチとかもあるし、遊びの多様さは比較にならないわけで、こんな環境で「勉強する」ためにはよほどの克己心を必要とするのかも知れない。
そういう進学校の中で「何も勉強しないで毎日遊んで暮らす」ということはどういう意味があるのだろうか。カッコよく言えば社会への反発や抵抗であり、カッコ悪く言えばただの怠け者である。そしてたいていは後者である。何も考えずのんべんだらりんと遊んでいるのである。だって遊ぶほうが楽しいのだから仕方がない。
親が努力して大学に入ったからといって、その子どもが努力できる人になるとは限らない。能力は遺伝するが、努力は遺伝しない。親が努力家でも子は腑抜けやヘタレということは往々にして発生するのである。生まれたときから豊かな生活の中で過ごすと人間はヘタレになるのだ。
勉強を本気でやらない奴ほど、勉強しているフリはする。自習時間に必死で問題を解いてる生徒もいれば、ただぼんやりと単語集を眺めて、そう「眺めて」過ごしている生徒もいる。眺めているだけで知識になるとでも思ってるのだろうか。彼らは勉強の「フリ」をしているだけなのである。それで世の中が渡っていけると思ってる勘違い野郎なのである。勉強の厳しさをちっともわかってないのだ。
塾に通うことと、塾のテキストに必死で取り組むことはイコールではない。塾に通っていてもただそこで無駄に時間をつぶしているだけという者も多い。授業中に寝ている生徒はそこで稼いだ睡眠時間分の勉強を家でするわけではなく、家ではその分ゲームなどをしていることが多い。
知識は待っていれば勝手に身に付くものではない。必死で努力してもぎ取って、自分の栄養にするために必死で守らないいけないのである。数学が苦手なら必死で問題を解きまくるしかないし、英語が苦手ならとにかく時間をかけるしかないのである。読んで、聴いて、書いて、また読んで・・・と無限ループなのである。単語集を眺めて勉強した気分になってる楽天家や、小テストの瞬間だけ覚えてすぐに忘れるような馬鹿が入れるほど大学は甘くないのである。
何もしないで日々を過ごして、ゆるやかに滅びるという選択をした者たちは10年後、20年後にどうなっているのだろうか。その頃には核戦争で世界が滅びているかも知れない。滅びゆく未来を予測して今遊んでるのなら、もしかしたら彼らが勝ち組で、じたばたしてるオレの方が馬鹿なのかも知れないが。
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