2019年10月22日(火) |
トイレは休み時間に行け! |
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小学生の頃、オレは休み時間のたびに必ずトイレに行った。それは中学生になってからも同様だった。もしも行き忘れて授業中に行きたくなったらどうしよう・・・という恐れがあったからである。小学生の低学年で、授業中に我慢しきれなくなってトイレに行くという生徒の存在を先生が想定していないわけがない。しかし、オレは「授業中」というのは絶対にトイレに行くべきではない時間だと思っていたのである。そうしたルールが崩れたのはいつからだろう。
自然現象だからトイレは行きたくなったら行けばいい・・・という価値観の持ち主が人権派という方々である。自分にルールを合わせろ!ということである。しかし、オレはどちらかというとルールが先に会って、社会生活をする以上それにこちらが合わせないといけない。社会の規範に自分を合わせるという生き方だが、それは古いのだろうか?
滋賀県のとある高校で、試験中にトイレに行った場合0点になるというルールが存在するらしい。また、得点を1割減らされる高校もあるらしい。そのルールを理不尽だという人もいるだろう。しかし、そういうルールを設けないと、不正をする人がいるというのもまた事実なのだ。
生活保護というのはいい制度だが、不正受給をする人が何パーセントか存在する。そして元気な若者が「精神疾患」「薬物中毒」などの理由で生活保護を受給し続けるという例もある。「精神疾患」も、本当に統合失調症という重症の場合も確かにあるが、「仕事や学校の時だけしんどくなる」という新型うつも存在する。
この働けない人たちに生活保護を与えることと、どうしてもトイレに行くのを我慢できない生徒をトイレに行かせることとは実は同じ性質のものである。いずれもその性格は「緊急避難」であり、一時的な性格のものである。ところがそれを悪用する人が存在するわけで、トイレに行くふりをしてカンニングをするし、働けないと偽って生活保護を受給する。そしてルールを厳格化すれば、本当にトイレに行きたい人はいけなくて漏らしてしまうし、おにぎり一つ食べられなくて餓死する人が出るのである。どうすればいいのだろうか。
人権派の方々は「不正受給が多少あっても目をつぶって、どんどん保護するべきだ」と主張する。その結果北九州市では多数の暴力団関係者が不正受給し、そのしわ寄せで弱者を容赦なく門前払いし、必要な人を餓死させるという結果につながったのである。
もしも試験時間中にトイレに行くことを自由に許可したらどうなるだろうか。それこそお隣の国みたいに組織的なカンニングがどんどん行われて試験がむちゃくちゃになるという事態だって起きかねないのである。おそらく偏差値の低い高校ほどカンニングが蔓延するだろう。
「トイレは試験が始まる前の休み時間に行け!」
オレは声を大にしてそれを主張したい。そして、そんな大切なマナーが子どものうちに身につけられないままに大人になってしまった大きな幼児たちのことをあわれに思うのである。
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