2019年10月09日(水) |
オレは森田健作になりたい |
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この世で一番楽な仕事は何だろうか。それは何もしない国会議員や地方議員、そして首長である。議員や首長の立場にありながら何もしないでいるということほど無責任で楽なことはないのである。千葉県知事の森田健作は台風15号に千葉県が襲われる数時間前に、東京都内でパーティーに出席してウィスコンシン州知事とにこやかに乾杯していたらしい。西日本豪雨のさなかに宴会をしていた自民党議員団もそうだが、地元の災害に対して政治家や知事のなすべきことをどのように考えてるのだろうか。どうして災害に備えて県庁に待機していなかったのだろうか。
阪神大震災の時、兵庫県知事だった貝原俊民は知事公舎でふんぞり返って、迎えの車がやってくるのを延々と待っていたそうである。自分の目で家の周辺を確かめることもせず、徒歩で30分もあればたどりつける県庁まで歩きながら被災状況を確かめるということもしなかったのである。このようなクソ野郎に為政者の資格がないことははっきりしている。貝原知事は後に自分が震災復興にどれだけ尽力したかという自画自賛の本を出したという。本当にあきれるしかないのである。
田中康夫という作家はさまざまな批判を受けることもあるが、彼があの震災の後に原付バイクで現地入りしてさまざまな復興物資を配るための走り回ったということを知ると、人間として信頼に値するのはどちらかということがわかる。行動できる人間こそすばらしいのである。多くの政治家や芸能人は口だけである。
その森田健作知事だが、知事の仕事はよほど忙しいのだろうかと思ったら、全然そんなことはないらしい。なんでも年間に151日も休んでいるそうである。千葉県知事がそんなに閑職なのなら、オレも千葉県知事になりたいのである。
千葉県内のほとんどの市町村は9月9日までに災害対策本部を設置した。ところが県が災害対策本部を設置したのは9月10日の午前9時になってからである。そして災害救助法の適用や県職員の現地派遣をしたのは12日と、明らかに対策の遅れが目立つのである。そんなに森田健作は忙しかったのか。
9月10日は首都圏中央連絡自動車道建設促進県民会議に、11日は東京五輪関連の会議に出席、12日は姉妹都市の知事表敬訪問をしていた森田健作が被災地の視察をしたのは台風が通過して5日後の9月14日だった。県知事にとってもっとも大切な状況把握ということを彼は台風直後に何もしていなかったのである。こんなやる気のない人間に知事を任せていてもいいのか。
そこで普通の人なら激しく森田健作批判に回るところだが、オレは違うのである。オレはそういう事実を知って、ものすごくこの森田健作知事がうらやましくなったのである。あらゆる仕事には多大な責任が付きまとう。それはどんな会社に勤務していてもそうである。正社員ならなおさら当然だ。ところが森田健作にはそんなことはないのである。
オレは森田健作になりたい。こんなふうに年の半分くらいの休暇をもらい、高額の報酬をもらい、公費で開催されるパーティーに出ては飲んで食べて雑談して、それで「知事としての仕事」をしていることになるという夢のような身分なのである。なんとすばらしい職業だろうか。
どうすれば森田健作になれるのだろうか。そのためにはまず芸能活動をしないといけない。芸能活動をするためには、オレはあまりにも年齢を重ねすぎたのである。もう完全に手遅れである。世の中にはいくら長時間労働しても給料が上がらずに苦しんでいる人たちが大勢いる。そういう人たちは自己責任なのだろうか。オレは森田健作という生き方がこの世に存在することに気づかなかった若いころの自分の愚かさを今かみしめているのである。
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