2019年10月10日(木) |
ノーベル賞の思い出 |
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1981年に京都大学の福井謙一教授がノーベル化学賞を受賞されたとき、オレはまだ大学生で、福井教授のご自宅の近くにあるアパートに住んでいた。福井教授は毎朝決まった時間にオレのアパートの前を徒歩で通過されて出勤していて、当時京都大学工学部、石油化学工学科の先生だったと思う。
石油化学といえば、オレを助けてくれた学科である。一回生でドイツ語を落として再履修しなければならなくなったオレにとって、選択肢は二つあった。一つは5時限目に開講されている再履修クラスを受講すること。もう一つは一回生のドイツ語の授業にもぐりこませてもらうことである。後者の場合、授業を担当する教員に許可を取るだけでよかったのである。オレは教養部にあった山口先生というドイツ語の先生の研究室を訪問し、そこで「休まずに受講する」ということで週に2コマある初級ドイツ語の授業を受講することになった。オレは英語の単位も一コマ落としていたので、2回生の時はなんと語学だけで週に8コマも受けていたことになる。文学部は週に5コマとるのが必修なんだが、それが一回生の時は2コマしか合格せず、そういうことで残った3+5で8コマも語学があったのである。不勉強で恥ずかしいのである。
そういう経緯からオレは、2コマの初級ドイツ語を当時工学部で一番入りやすいと言われた石油化学学科の一回生の中にまぜてもらって取ることになったのである。文学部と比較すれば確かに工学部のドイツ語は楽勝で、そういうわけでオレは楽々と初級ドイツ語の単位を取ることに成功した。きっと再履修クラスを選んだ人たちには大変な苦労が待っていただろう。
そういうわけでオレは石油化学のクラスと不思議な縁ができたのである。そのクラスにはなぜか女子学生が一名いて、彼女はクラスのアイドルというか、女王様のように君臨していて、男子にいつも囲まれていたことを覚えている。あの石油化学の女王様は今はどうしているのだろうか。
そんなことがあったので、石油化学工学科の先生だった福井謙一教授がノーベル賞を受賞し、しかもいつもオレのアパートの前を徒歩で通勤されていたことを不思議な因縁で覚えているのである。ノーベル賞という立派な栄誉を受けた人は、実は自分と近いところに存在したということである。
吉野彰さんが京都大学工学部を卒業したのは1970年、オレが文学部に入学する7年前である。大学院修士課程2年間もオレとは重なってはいない。しかし、福井謙一教授はもしかしたら吉野彰さんを教えていたかも知れない。
職場の同僚から「やっぱり京大はすごいですね!」と言われても、それは吉野彰さんがすごいのであって。オレを含めた多くの京大生はただの変人なのである。数年に一度天才を輩出するが、その一方で多くの困った人を生み出すのも京都大学の宿命である。ノーベル賞を報じる新聞の一面には、同じく京都大学出身者である関西電力のトップの写真も掲載されていたのである。片やノーベル賞。片や悪徳企業のトップ、人生とはわからないものである。
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