2019年09月09日(月) |
カジノとダムは同じである |
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横浜市長がカジノ誘致に方針変更したということで市民の反発を招いている。首長が大規模な公共事業が大好きなのは、それにまつわるさまざまな利権が存在してゼニにつながるからである。きっと横浜市長も表に出ないゼニの恩恵を被る一人なんだろう。政治家がゼニで転ぶのは昔からのお約束である。
このカジノだが、オレはダム建設とよく似ていると思っている。ダムとカジノの共通点はどちらも巨額のゼニは地元には落ちないでゼネコンとか国会議員のところに入ってしまい、地元には害だけが押し付けられるということである。カジノができればそこに出入りするヤクザやDQNのせいで治安は悪化するだろうし、ギャンブル依存症の連中が生活保護受給者になるし、入ってくる税金以上に出ていく経費の方が多いのである。
大阪にはカジノなんかいらない。オレが維新に投票したくない理由はその1点に尽きる。もしも維新が「カジノなんかなくても大阪はよくできる」という方向に路線転換したら支持を考えてやってもいいが、今の路線のままならオレとは相容れない存在である。
カジノの利益というのは客の負けた金である。つまり、その利益は誰かの不幸の上に成り立っているのである。そんなものは産業でもなんでもない。極端な話だが、どんな浪費でもお客が満足していればそれは対価として妥当である。南禅寺近くにある「瓢亭」の朝がゆは6000円するが、それを食べにくる酔狂な客はそれを納得して払っているのである。誰も「ぼったくりだ!」と怒ることはない。
ところがババアばかり並べてるキャバレーが法外な料金を請求すれば客は怒るだろう。こんなババアではなくて若くて美しい美女がいるからと思って遊びに来ているのである。ハズキルーペのCMに出てくるようなきれいどころが席についてくれると期待してゼニを用意するのである。ところが店内には50代60代のホステスしかいないということになればそれはとんでもないぼったくり店ということになる。費用対効果の問題なのである。そしてカジノの場合は満足するのは勝った客だけである。大多数の負けた客は誰も満足などしていない。「けっ!」とか「クソっ!」とか思いながらその憤懣を胸に抱えて帰るのである。そうした憤懣がどんどん大阪にたまっていき、空気が悪くなってしまうことをオレは全く望んでないのである。
もしも客が必ず勝てるとか、勝てる客の方が多いというカジノがあればオレは行くかも知れない。胴元が損をする設定にしていて、客がみんなウハウハ言えるような施設だがそんなものはこの世界のどこにも存在しない。胴元が大儲けして、客が泣かされるというのがカジノの世界のお約束である。
カジノを作ってそこから入ってくる税金で・・・と松井一郎市長は考えてるのかもしれないが、税金以上にカジノ運営会社にゼニが入るのである。その運営会社がたとえば大阪市とかの直営なら話は別だが、どうせ海外の裏社会の関連会社に決まってるのである。そんなものの運営ノウハウのある企業がまっとうな会社のわけがないだろう。カジノ運営以外に麻薬の販売とか手広くやってる組織に決まってるのである。きっとカジノの近くで麻薬も買えるようになるのである。
ダムを作って田舎が荒廃したように、カジノを作れば大阪はもっと悪くなる。それをオレは断言したい。ゼニの集まるところにはうさんくさい連中も集まってくる。そうして大阪がDQN天国になどなってほしくないのである。
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