2019年05月23日(木) |
ジャパニーズドリームの終焉 |
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厚生労働省の官僚が、「生活保護での大学等への進学は認められない」という国会答弁を行ったそうである。増え続ける社会福祉費に一定の歯止めを与えるために「最低限度」の生活の中には大学進学を含めないという趣旨である。
貧困家庭の多くの子弟がその経済的理由から進学をあきらめているというのは事実である。大学進学にはゼニがかかる。国立大学といえどもその年間学費は50万円を超えている。オレが大学生だった頃は年間で14万4000えんだったので3倍になってるわけだが、それでも私立大学よりも安いので「自己負担」を主張する人はもっと値上げするべきだと主張する。なんでこんなことになったのか。
かつての日本には「ジャパニーズドリーム」というものが存在した。貧しい家に生まれてきても本人の努力で成績がよければ進学が叶えられたのである。オレは小学校から高校まで公立の学校で、もちろん塾に通うような経済的な余裕もなかったのだが、その中で受験勉強に励んで京都大学に合格することができた。大学に入って驚いたのは、まわりに自分のような貧乏な家の子はいなかったということである。同じクラスの京大生は大学教員や医師の家庭、そして公務員の家などある程度恵まれた家の子ばかりだった。サークルに入っても同じであった。すでに昭和54年当時から貧富の差による学力格差は存在したのである。オレのような貧しい家庭の子供はどんどん受験戦線から脱落していたのだ。
そうしてジャパニーズドリームが終わりをつげ、世の中は平成バブルから失われた30年へと向かった。その間、貧富の差による学力格差はどんどん広がっていき、貧しい人が多く居住する地域の小学校中学校は相対的に学力の低い子供が多いという現象が起きた。
実際それは大阪府にもあてはまる。淀川よりも北、淀川と大和川の間、大和川よりも南という3つの地域に分けた場合、はっきりと上中下という学力ランクになっているのである。北には優秀な生徒が多く、南にはそうでない生徒が多いという学力序列がはっきりと生まれ、南地域に居住するオレはその地域の公立高校進学校のそのぱっとしない進学実績を見て「やっぱりな・・・」と思うのである。きっと居住者の平均賃金や年収なども同様の結果が出るのだろう。
生活保護家庭から出た子どもが高い学力を身に着けてジャパニーズドリームを実現するということはもう不可能なのだろうか。
親が育てられないとか、虐待があったとかいう理由で児童福祉施設で過ごす子どもたちがいる。その福祉施設で育つ子が高い学力を身に着けられるように特別支援員を派遣するとかいうことはできないのだろうか。一般家庭よりも施設の方がおいしいものが食えて、いい指導を受けることができて進学にも有利であるという状況が生まれれば、たとえ恵まれない形でスタートした人生であっても逆転が可能になるのである。オレがしてみたいのはそうした支援活動なのだ。
生活保護の制度が不適切に運用され。不正受給が叩かれる中で本当に必要とする人には届かないなどの状況が生まれている。北九州市や西成ではそのゼニの中から暴力団の資金源として還流するゼニがかなりある。貧困ビジネスや違法カジノで搾取されるからである。その実態を放置している側にもやむにやまれる事情はあるだろうし、相手がヤクザならできれば穏便に済ませたいのが人情だろう。誰も命の危険のある連中と関わりたくはない。もしかしたらそうした環境下で、恵まれない家庭に育った子の中にすぐれた能力を秘めた子がいるかも知れない。
公教育の小中学校の先生の中に名伯楽が存在すれば、そういう子を見つけ出してやることが可能である。しかし、そんな先生は今の世の中にはもうほとんどいないのかも知れない。ジャパニーズドリームの終焉である。
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