2019年03月08日(金) |
結果の平等を求めるな |
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日本企業では女性の管理職の比率が少ない。役員になるともっと少なくなる。この数字が欧米の各国と比較して低いということで是正を求められているということだが、そこでオレが気になったのは「結果の平等」という概念である。
アメリカで大学の入学者が人種的に偏りがあるということで、それぞれの人種ごとに合格者の人数を決めた結果、有色人種では低い点数でも合格できるのに白人は高得点でも合格できないという不公正な結果が起き、訴訟の結果それが不合理であるという判決が出たことがある。日本でも東京医大で女子の点数を下げるということが行われていて入学者の女性比率を下げる操作が問題とされた。
結果を思った通りにしたいために、途中でアンフェアなことをするということにオレは反対である。日本企業で女性の管理職が少なく、役員が少ないのはこれまで女性は結婚すれば退職したり、育児などで時間がとられてキャリアに影響してきたからであり、それが改善できれば自然と男女格差は埋まってくるはずだが、残念ながら格差解消の取り組みが不十分だったというのが現状だろう。そこでいきなり結果の平等を目指すとどんなことが起きるだろうか。
自民党の女性議員の中におよそ議員にはふさわしくない暴言女がいたという豊田議員の事件がついこの間起きた。もしも結果の平等を目指した場合、国会議員の50%を女性にするなどということを性急に求めれば、結果として議員にふさわしくない人がたくさん選ばれてしまうだけである。現状でもおよそ議員にふさわしくない人たちが女性の国会議員の中にいるのだ。「女を増やせ」というただそれだけの理由で員数合わせでろくでもない女を議員にしてしまったらさらに変な奴が出てくるだろう。それは企業の役員や管理職も同様である。だからオレは「結果の平等は求めるな!」と言いたいのである。
東京大学に入学する地方出身者が減っているという事実から、「地方出身者が東大に入りやすいように地域ごとに人数を決めよう」などというルールを決めたらどうなるか。たとえば島根県に50人の枠が割り当てられ、一方大阪府の枠が200人だとする。人口比から考えれば島根県の50人枠に入ることの方が有利である。そうすると地方枠を求めて住民票を移すやつとか転校する奴が出てくるだろう。実際に高校野球で甲子園に出るのは地方の方が有利なので大阪出身の球児たちは全国に散っていく。地元出身者が全然いないような野球名門校が実際に存在するのは「代表校は原則として一県に一校」というシステムが結果の平等を求めているからである。その県はレベルが高いから複数出場できるということにはならないのである。すでに複数代表の北海道や東京は学校が多かったり面積が広くて大変だから分割されたわけで合理性がある。
大学への入学で結果の平等を求めた結果、アメリカでは学力の低い学生が増加して大学教育が混乱した。日本は同じ失敗を繰り返してはいけないのである。オレは「努力の機会が公平」で十分だと思う。ゼニを積んだら東大や京大に入れるわけじゃないという現行の仕組みがもっとも望ましいのではないだろうか。企業も外圧で女性の管理職を増やすのはばかげている。しかし、女性が出世できないような仕組みを作ってる企業は世間から非難されるべきである。
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