2019年01月31日(木) |
10歳の少女の絶望 |
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2017年の11月、栗原心愛ちゃんはアンケートに正直に事実を書いた。訴えれば先生が自分を救ってくれると思っていたし、少なくとも周囲の大人たちは彼女を救うことができた。学校で行われたアンケートに彼女はこのように書いたのである。
「お父さんにぼう力を受けています。夜中に起こされたり起きているときにけられたりたたかれたりします。先生、どうにかできませんか」。
そのアンケートの訴えが通じて彼女は児童相談所に保護され、虐待から一時的に解放される。しかし、彼女の両親は虐待を否定した。10歳の少女が必死の思いで書いた訴えと、親が「虐待なんかしていない」とついた嘘と、いったいどちらが信じられるのか。彼女は親のもとに戻される。「いったい娘は何を書いたのか?」父親は千葉県野田市の教育委員会に強くそのアンケートの開示を要求し、要求に屈した市教委はアンケートの中身を父親に見せてしまった。
以後、少女は父親からの激しい虐待の中で絶望的な日々を送ることになる。亡くなるまでの一年余りの時間の中で彼女が感じた深い絶望感を想像することができるだろうか。その後のアンケートに彼女は虐待の事実を書くことはなかった。その理由は容易に想像できる。「こんどこんなことを書いたら殺す」と父親に恫喝されていたに違いないのである。10歳の少女は家出することもできず、誰かに助けを求めることもできず、ただ父親からの激しい暴力にその後一年以上耐えて力尽きて死んだ。
どうして誰も救えなかったのか。彼女の通う学校に一人でもこの悲劇に気づく教員がいて行動を起こせば助けられただろう。怒鳴り声や悲鳴を聞いた近隣住民が警察に通報すれば助かったかも知れないのである。しかし、誰も行動を起こさなかった。彼女の母親さえも娘を救ってはくれなかった。誰一人自分の味方はいないという孤立無援の絶望の中で少女は殺された。
少女の遺体には直接の死因につながるような外傷はなかったという。彼女を死に至らせたのは「絶望」という病であったとオレは思っている。未来に絶望することは生きる気力を失わせるのだ。生きていてもずっとこの苦しみが続くのならば、いっそのこと早く楽になりたいと彼女は願ったのではないか。そして学校を休ませてずっと虐待を続けた父親にとってはその虐待はむしろ娯楽であり、快楽であったのだ。これはいじめ行為を「遊び」ととらえているクソガキと同じである。
母親がどうして虐待を止めなかったのか。おそらく母親も虐待を受けていたのだろう。自分の受ける暴力が娘に向かうことで自分は助かる・・・そんなことを考えていたのかもしれない。
オレは中学1年の時にクラスメイトからいじめを受けていた。どうやったらそのいじめから逃れられるのか。絶対に誰にもバレない方法でその相手を殺すことができれば解放される。オレは物陰からナイフを発射する装置とか、それを帰り道のルートのどこに設置すればいいのかとか考えたことがあった。どうしたら自分の犯行だとバレないように完全犯罪を実行できるのか。それをずっと考えていたのである。
学校でそいつに殴られて唇の端を切って血が出ていたことに担任の若い女の先生が気づいてくれた。そいつは「こいつの唇が切れやすいだけや」と開き直った。先生は激しくそいつを叱りつけてくれて、それ以降暴力は止んだので、オレは殺人計画を実行に移すことはなかった。
どうか虐待を受けている子供がいつでも避難できる場所を作ってほしい。駆け込み寺みたいなシェルターを用意しで、そこに逃げ込んだらいつでも食事が与えられ、身の安全が保障されるようにしてほしい。「帰りたくない」と訴えたら家に帰らなくてもいいようにしてあげてほしい。いじめや虐待、そして性暴力から子どもを守る仕組みを作ってほしいとオレは願うのである。行政が何もしてくれないのなら、オレが自分で作るしかないのだろうか。
今も日本中で親に虐待されて絶望の中で暮らしている大勢の子供たちがいる。ニュースになってるのはほんのわずかだろう。どうか周囲の大人は気づいてあげてほしい。担任の先生は子供の小さな変化や異常を発見してほしい。その小さなサインを見過ごさないことが大切なのである。
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