2019年01月25日(金) |
コンビニのエロ本は悪か? |
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大手コンビニが店頭からエロ本を追放するという。確かにコンビニの雑誌コーナーにはではアダルトコーナーがあって、煽情的なタイトルの本が並んでいる。最近は高齢者を意識してるのか熟女モノも多い。そういうものに全く興味のないオレは手に取ることももちろん買うこともないわけだが、そもそも売れている場面を見てことがないのである。購入者はふつうにパンやお菓子と一緒にエロ本を買うのだろうか。
スマホで検索すれば誰でも無修正のエロ動画を視聴できるのに、どうして紙の本の需要があるのだろうか。ただ、ネットで閲覧すると危険がある。「無料AV動画」というボタンをクリックした結果ウイルスに感染したり、詐欺サイトに誘導されたりする可能性があるからだ。そういう意味ではコンビニで売られているエロ本やエロDVDは安全にエロを楽しめるものであるということもできる。
オレが京都でボロアパートに住んでいた頃、そのアパートの前に設置されていたエロ本の自販機は繁盛していた。深夜の2時くらいに自転車が停まる音がして、それからコインを入れる音、そして本が落ちる音がして購入者は夜の闇の中へ消えていった。自販機の表面には銀色のフィルムが張られていて昼間は中身が見えないのだが、夜になると商品である雑誌が見えるのである。確か「エロジュニカ」とか「エロトピア」という題名の紙質の粗悪な雑誌が売られていたはずである。似たような絵で似たようなストーリーのそうしたエロ漫画が、当時の若者の貴重な「自慰のオカズ」だったのである。
買う前に中身を閲覧できない「ビニ本」というものもあった。表紙のモデルを見て決めるのである。あと、明らかに中身が非合法であると思われる「裏本」というものも古本屋で買えたりした。そうした紙のエロ本文化は、インターネットが普及しても回線が重かった頃はまだまだ勢いがあったのである。
しかし、少子高齢化によってそれらの本を購入する若者も減り、その一方でネット回線の高速化によって画質のいい無修正のエロ動画を簡単に視聴できるようになった。通常の本のデジタル化が進むように、エロ本もデジタルの世界にどんどん移行していったのである。そういうわけで現在の「エロ本出版」というのはかなりの斜陽産業であるとオレは思っている。それが今回のように大手コンビニから排除されることで完全にとどめをさされるわけである。
そもそもエロ本の存在は悪なのだろうか。性風俗産業が暴力団の資金源になったりしているという現状は確かに問題だ。エロ本もモデルが搾取されてるとか、若者に著しい悪影響を与えているということなら規制されるべきである。そうした実態についてはなかなか知る機会がない。
ただ、若くてゼニのなかった大学生の自分にとって、わずか200円ほどで購入できた「エロジュニカ」や「エロトピア」が大変ありがたかったのは事実である。それが自分にとってとても大事な「オカズ」であったことをオレは肯定する。そして、規制という名のもとにそうした「安全なオカズ」が世の中から消え去ってしまうことを憂うのである。
今やホームセンターコーナンでも堂々とTENGAが売られている時代である。誰でも見ることのできる店頭にそうした商品が販売されていて、小学生でも買うことができるのである。もしもオレが今の時代に小学生だったとしたら、好奇心からそうしたものを買う可能性は十分にある。
ソフトなものから過激なものへ、そうして実際の行動へというエロスの発達段階があるとオレは思っている。その発達段階の中で「安価なエロ本」というのはとても重要な位置づけにあったとオレは思っている。
もちろん女性の中にはそうした商品の存在そのものが許せないという批判的な意見をお持ちの方もいるだろう。性を商品化すること自体が悪という立場である。ただ秋元康のAKB商法なども広義の「性の商品化」に含まれるだろう。資本主義経済の中で「性」という商品はなくならないとオレは思っている。禁止してもアンダーグラウンドの世界に移行するだけである。コンビニで買えなくても、それが買える店はきっと新たに出現するだろう。存在が見えにくくなるだけである。
あるジャンルの商品が失われるということは、その業界で生活している人たちの収入を奪うことになる。オレが心配するのはこのような「自主規制」の美名のもとに仕事を奪われるあわれな人たちのことである。
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