2019年01月13日(日) |
合コンにおける百人一首活用法 |
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最近の大学生はどうやって彼女を作ってるのだろうか。昔の大学生がよく参加した「合コン」というものは今でも有効なのだろうか。そんなことをオレはあれこれと考えるのである。もちろん最近の教え子から聞くこともあるが、オレの教え子にはまじめなヤツが多くて、「夜の帝王」とか「ナンパ大王」とかいう類いの者はいないのである。
合コンで仲良くなった相手と、「今度は二人きりで逢おう」という気持ちを伝えるのにどんなやり方があるのか。オレはここで日本古来の百人一首を使った方法を提案したい。百人一首にはさまざまな恋の歌が入っている。それを活用するのだ。
自分の気持ちを伝えたい相手に、さりげなく小さなメモを渡す。そこにはこのように記すのである。
瀬をはやみ岩にせかるる滝川の
このメモを受け取った相手は、伝えたいメッセージの意味がこの崇徳院の和歌の下の句にあることをすぐに理解できるだろう。下の句というのは
割れても末に逢はむとぞ思ふ
(今は少し離ればなれになっても、後で会いたいと思う)
という意味なのだ。つまり「後で会いたい」という気持ちを上品に伝えたメッセージとなるのである。
さて、このメッセージを渡しても相手が無反応な場合もある。それは相手が自分に好意を持っていないということなのであきらめるしかない。恋愛というのは努力によってどうにかなるものではない。そこは勉強やスポーツとは違うのであり、相手の好みに合わないとどうしようもないのである。たとえばオレが高畑充希から「付き合ってください」といわれたら無条件にOKだが、水原希子なら断る。もちろん両方OKの人もいれば、両方断る人もいるだろう。
もう一つ相手が無反応な場合が想定できる。それは相手が無教養で百人一首を知らないということである。その場合は受け取ったメッセージの意味がわからない。
さて、日本で通常の学校教育を受けていて大学まで進んで、そこで百人一首を知らないなんてことがあるだろうか。普通はないのである。つまり、大学まで進学しながら百人一首も知らないというのはもう無教養を代表するようなものである。そんな頭の悪い女と付き合う価値があるだろうか。絶対ないのである。教養のない女と一緒にいても会話が弾まない。そういう女とただ単に本能的な欲望を満たすために逢うというのはDQNのすることである。
広瀬すず主演の映画「ちはやふる」のおかげで百人一首はブームになった。オレは日本の古典文化がそうして正当に評価されたことがとても嬉しかったし、もちろん映画も観に行った。もしもまだ「ちはやふる」を観たことがない受験生がいたら、すぐにDVDを借りて観るべきである。
かつての明治時代の若者にとって、男女混じって行われた「歌留多会」というものが今でいう合コンの一種であった。そうした日本文化の伝統の上で我々は暮らしているのである。
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