2018年12月18日(火) |
不平等な入試は昔からあった |
携帯用URL
| |
|
東京医大の入学試験で女子を不当に差別していたことが問題とされたが、このようなことは昔からあったし、しかも医学部関係者にとっては公然のことだったわけである。京都大学の医学部でさえ、ボーダーラインのところで同点で並んだ場合は「現役優遇」「男子優遇」という暗黙の了解があったとオレは大学在学中に大学の教官から聞いた。今改めてそのことを問題にするのなら、もっと問題にしないといけない事件があるだろう。
今から13年前、群馬大学医学部は当時55歳だった女性の受験生を不合格にした。学科試験では十分に合格者平均を上回る点数だったのに、不合格にしたのである。医学部関係者は「年齢を基準に落とした」ということを主張し、裁判でも合否は大学の裁量権であるという判決が出た。入試要項のどこにも「年齢で落とす」なんてことは書かれてなかったのに、それを理由で大学は不合格という判定を下したのだ。これがどれほど法の下の平等に反することか、どれほど不正義であるかをオレはこの日記で主張した。
しかし、世間の反応は「そんな年齢で医師を目指しても・・・」とか、「国立大学は税金を使って運営されてるのだからそんなオバハンを合格させても税の無駄遣い」というふうな答えだったのである。この女性は裁判を起こしたが控訴審でも敗訴している。ヤフーニュースの記事になっていたので改めて読んだのだが、コメント欄は「こんな年齢で医学部入っても意味がない」「大学は正しい」というものばかりだった。オレはとても腹が立った。
今、東京医大の入試のことがこれほど世間で騒がれている中で、この群馬大学医学部の不公正な入試のことをオレは改めて問題にしたいのである。オレは当時の日記の中で「こんな大学は廃校にすべきだ」と主張した。後に群馬大学医学部付属病院は腹腔鏡手術で多くの死者を出していたことが報道され、14人も殺した殺人ドクターの存在まで週刊誌にスクープされた。オレが「廃校にすべきだ」と主張したことはある意味正しかったのである。
立命館大学は今から20年ほど前に「女子特別推薦」という制度を発表して、理系学部や経済学部といった女子の少ない学部に優先的に女子を合格させるということを表明した。オレは男子校の教員としてその制度がいかに不平等であるか、不公正であるかを朝日新聞に投書して掲載されたことがある。オレは自分の主張がまっとうなものであると思っていたが、当時の校長から「本校の生徒も受験する大学を批判するのはよくない」という注意を受けた。オレはただ正義を主張しただけなのになんで注意されるのかと非常に不愉快であったことを思い出す。
立命館大学がその後、金儲け路線をどんどん加速していったことを思えば、その「女子特別推薦」というのが女子教育普及のための崇高な目的で実施されたものなどではなくて、単なる(女目当てで受験する)男子学生集めの卑怯なやり方であったことは明らかである。
大学の入学試験というのは人生を左右する一大イベントである。どんなに金持ちであっても問題の前には平等である。大金を積んで家庭教師を雇ったとしても、必ず東大や京大に入れるわけではない。しかし、貧しくても本人が必死で努力すればその夢はかなうのだ。それこそがジャパニーズドリームであり、オレのような貧しい家庭に生まれた人間でも高学歴を手に入れることができた日本という国のかつての姿なのである。
群馬大学医学部を不合格にされた佐藤薫さんは今68歳である。彼女がもしも合格を認められて医師になっていたらどんなすばらしい医師になれただろうか。わいせつ事件を起こしたり準強姦事件を起こしたりするソくそみたいな医学部生のニュースを聞くたびにオレは思うのである。そんなクズよりもはるかにこの方に医師になって欲しかったと。裁判所はその判決が間違いだったと、そして群馬大学は不公正な入試をしていたときちっと認めて謝罪してほしい。
←1位を目指しています。ちょっと下がってきて焦っています。
前の日記 後の日記