2018年12月14日(金) |
学校を好きであることの意味 |
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オレは自分の出た高校が好きだ。母校である大阪府立生野高校の校歌「登高賦」は一番から三番までならいつでも歌える。もっともこの歌は正式には12番まであるそうなので、オレが歌えるのはいろんな式典などで3番だけ歌われたその部分だけなのだが。
生野高校にはさまざまな名物の先生がいた。そこで数十年教えていて、学校精神をそのまま体現してるような方もいたのである。オレが高校2年の時に「教師生活半世紀」という方が退職された。50年ということは、22歳で教壇に立って72歳までということになる。そんなことがかつては可能だったのである。
物理のU先生は体罰で有名だった。今なら決して許されないその体罰というのは、テストの点数が50店に満たないものはその点数分、細い樫の棒で頭部を強打されるというものだった。叩かれたくなかったら必死で勉強しないといけない。オレが物理ができるようになったのはそのU先生に出会ったからである。在学中にオレは校内模試の物理で100点満点を取ったことがあるが、U先生に出会わなかったらそこまで真剣に勉強することはなかっただろう。そして現代ならそんな体罰はとうてい許されなかっただろう。
音楽のK先生の授業はとにかく歌って歌って歌って疲れきるまで歌う授業だった。オレは音痴だったので苦痛だったが、歌のうまい級友たちはみんないきいきとしていた。高校1年の時にオレは数学で0点を取ったことがあるが。その時に数学のN先生から「0には何を掛けても0なんだ。他人と比較するときは比ではなくて差で言わないとだめなんだ」と笑われたことがある。
オレの住んでいる地域から目指すことのできる公立高校の頂点が生野高校だった。中学の時にクラスで1番でないと基本的に入れなかったのである。ところが高校に入ると地域の秀才が集まるからその中で序列がつけられる。そこで競争に敗れて堕落していく者、やけになってしまう者も出る。オレはそこで女の子に片思いして振られたりしながら受験勉強に励み、無事に現役で京都大学文学部に合格し、世話になった恩師に合格の報告をした。高校時代に国語担当だった恩師が「おまえは教師になるのなら国語でなれ」と勧めてくれて、教育実習でも指導してくださったことが今のオレにつながっている。
自分の学校が好きだから、そこに通っている自分が好きだった。母校の悪口を言われるのがとにかく許せなかった。高校の時にクラスメイトだったり恩師だったり先輩後輩の関係だった人々との交流は今でも続いている。
こんなことを書くと必ず「あんたは入学試験の偏差値の高い高校に入れたから好きになれるのだ。アホな学校にしか入れなかった人間は愛校心など持てないのだ!」と言われることがある。しかし、自分はアホな高校にしか入れなかったと自分を卑下した時点ですでに間違ってるのではないだろうか。オレは人間にとって大切なのは自己肯定感だと思うのである。自分を好きだから、自分の通ってる学校も好きだ。そこで出会った仲間たちのことも好きだという気持ちが生きる喜びにつながってるのじゃないか。アホな自分が嫌いならどうしてアホではなくなるような努力をしなかったのか。アホのままでいるということはとりもなおさずそんなアホな自分を愛していて肯定しているからではないのか。
もちろんオレは今こうして勤務している私立の学校のことも大好きだ。その歴史と伝統の1ページに加わることができたことを誇りに思っている。そして、一人一人の生徒たちにもぜひともそうした気持ちを持ってもらいたいと感じている。君たちが成長するためには、自分を好きになる気持ち、自分のいる場所を好きになる気持ち、今の自分を愛する気持ちが必要不可欠だと思うからである。
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