2018年09月05日(水) |
台風21号を体験して |
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オレは幼いころの台風の記憶がある。停電して真っ暗な家で、布団の中でふるえていたことを覚えている。しかし第二室戸台風の時はオレはまだ一歳にならない赤ん坊だったはずだから、その記憶の台風はもっと後だろう。昔は停電になることが多く、ろうそくは台風シーズンの必需品だった。
台風21号の直撃を受けた大阪、神戸だが、もっとも風が強かったのは14:00くらいだろうか。オレはTVアンテナが風で激しくしなっていたのが心配で、何度も様子を見た。実際のところ、その風のせいで少し向きがおかしくなったのか、一部電波を受信できない局が発生してしまって、それがNHKとテレビ大阪という日ごろよく観ている局であったために困っているのである。アンテナ復旧というか調整のための工事をするべきか、それとも高性能の室内アンテナを買ってきてそれで対応すべきか。実際のところ我が家には室内アンテナが2台あって、それぞれちゃんと機能している。リビングの大型テレビだけは家を建てたときに配線した屋内のテレビ配線経由で視聴しているのだが、屋外のテレビアンテナ経由で観ているのはそのテレビだけで、しかも受信状況が悪くてサンテレビが映らないという阪神ファンのオレには許せないシロモノなのである。
ベランダに並べていた植木鉢などは全部吹っ飛んだ。ベランダは泥まみれでぐちゃぐちゃになって、母がメダカを飼っていた水槽はガラスが割れて水がこぼれ、メダカは一部しか救出できなかったのである。
オレは風下にある窓から外の景色を眺めていた。さまざまなものが空中を舞っている。簡易なプラスチックのベランダの覆いなどが壊れて吹っ飛んで行き、それがTVアンテナにぶつかってアンテナをなぎ倒すところを目撃して、このような場合の補償や責任はいったいどうなるのだろうかとオレは考えた。
関西空港が高潮で水没して、駐車場に駐めていたクルマもそのまま水没してしまっているのを見て、関空にクルマを置いて海外旅行に行ったらこんな悲劇が待ち受けるのかと思った。台風が来る前にはここまで大変なことになるとはだれも思わなかっただろう。高潮の被害は想像以上だった。六甲アイランドが浸水してコンテナが海に流れだしたりしていたが、運休して港に係留されていたフェリーは大丈夫だったのだろうか。
鉄道の運休、学校の休校はほとんどが前日に発表された。これはなかなか英断だったと思う。休みなら出勤する必要もなく、通学のために家を出ることもないから帰宅難民にもならない。オレの勤務する学校も休校だったし、教員も自宅待機していてよいということだったのでオレは自宅警備員として待機できた。
同じ規模の台風がもしも30年前に来ていたら大変な被害を出していただろう。我々は情報を得て早めに対応できるし、基本的に最近の家は屋根瓦もちゃんと固定されていて簡単には吹っ飛ばない。実際に今回の台風で瓦が吹っ飛んだ近隣の家は、かなり古い家ばかりである。
子供の頃にオレが住んでいた長屋は本当にボロ家だった。屋根瓦を失った屋根にはトタン板が張られていて、おかげで夏は暑く、冬は寒かった。大雨の時はよく雨漏りした。もしもあの家だったらこの台風には絶対に耐えられなかっただろうと思った。中学3年の時に今住んでいる戸建ての家に移ってきて思ったことは、「この家なら台風で吹っ飛ばされないだろう」ということである。
橋の上で横転する車の映像がTVで何度も流れていたが、その暴風の中を運転しないといけないという事情にオレは同情する。こんな自然災害の時は、荷物が時間通りに届かないとか、商品が配送できないとかは当たり前である。もっと社会が寛容になって、状況を理解してあげてほしいと思ったのである。あの台風の中、ピザを届けさせるなんてひどすぎるよとオレは少し腹が立ったのだ。
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