2018年08月15日(水) |
8月15日に思うこと |
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終戦記念日のたびに話題になるのは、日本人にとってあの戦争がどういう意味があったかということである。オレはいつも思うのだが、戦争がたとえ勝ち戦であっても常に多くの人を不幸にするというしごく当たり前の誰にでも自明なことを理解するのに、あれだけ多くの犠牲を必要としたという愚かさである。あれほど多くの人が死なないと、あの時熱狂的に戦争を支持した多くの洗脳された国民たちのマインドコントロールを解けなかったのだ。そのことが戦争のまぎれもない真実だ。どうしてそんな多くの犠牲が必要だったのか。
外交というのはウソのつき合い、化かし合いである。軍事力は使わないで見せびらかすことが最高の使い方である。そういうことをわかった天才的な外交官、そして総理大臣がいれば、日本はまぎれもなく東亜の新秩序を築くことが出来たし、現代は全く違ったものとなっていただろう。中国やロシアという帝国主義国家はおそらく存在もしなかったはずである。スターリンや毛沢東のような冷酷非道な指導者による社会主義、共産主義が実は民主主義の敵であるということを正しく理解し、国際連盟の枠組みの中でその影響力を行使するべきだったのだ。あの時日本にとって最良の外交は、中国から撤退すると宣言して国民党軍と和解しておけばよかったのである。インドシナ半島の権益で衝突しても、イギリス、オランダとだけ開戦してアメリカとは戦わずにいる、つまりアメリカを戦争に引っ張り出さないという選択肢はなかったのか。
ルーズベルトは真珠湾攻撃を利用して、参戦に消極的だったアメリカ国民を扇動した。また、日系人を収容所に入れて民族的憎悪を煽った。もともとアメリカ人の中に反日意識があったわけでもない。アメリカ国民もむりやりに戦争に引っ張り出されたのである。そのあたりの背景は映画「父親たちの星条旗」に詳しい。
太平洋戦争開戦時である1941年の時点で、空母機動部隊を運用することの出来る海軍力を持っている国はアメリカと日本しかなかった。熟練した多くのパイロットと正規空母6隻を保有する日本の海軍航空戦力は太平洋ではアメリカ海軍よりも圧倒的優位にあったのである。日本は隠さずにそれを見せつけるだけで十分だったのだ。その上で有利に外交交渉を進めればよかったのである。こんな国と戦うのはヤバイと思わせればそれでよかったのだ。大和のようなばかでかい戦艦は、平時に威風堂々と欧米の列強に見せびらかしてこそ意味があったのである。こんなむちゃくちゃな兵器がある日本と戦争やるなんて馬鹿だろ?と思わせればよかったのだ。戦わないで勝つことが最上の策であることは中国の兵法書である「孫子」にも書かれている。
残念ながら昔も今も日本は外交がヘタクソだ。あきれるほど外務省にはボンクラしかいない。だから日米地位協定も変えられないし、対米従属的な関係は一貫している。どうすれば国益を守れるのか、どうすることが国民にとってもっとも利益となるのか、そんなことを冷静に判断できる政治家が過去に一人でもいたのだろうか。残念ながら政治家や企業人の志の低さはあきれるばかりである。基本的に自分の欲得しか考えていないのである。
鹿児島県の知覧にある特攻平和館には、そこから特攻機で飛び立った若者たちの遺影が並んでいる。そして最期の手紙がある。彼らが故郷の母親に宛てた最期の手紙を読んで涙を流さずにいられる人はいないだろう。何のために彼らは死ななければならなかったのだろうか。彼らが犠牲になったことでいったい何が変わったのか、変わらなかったのか。
日本という国を守る為に身命を賭した彼らが、もしも死なずにその命を戦後日本のために使ってくれたなら、あの戦争で命を散らすことがなかったならば、今の日本はもっとすばらしい国になっていたような気がするのである。今の腐った政治家どもをオレは腹立たしく思うのである。
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