2018年07月16日(月) |
治水のために何が必要だったのか? |
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西日本の大水害から日が経って、さまざまな検証が行われている。愛媛県の肱川が氾濫したことで国土交通大臣が「ダムの放流は適切だった」と責任逃れの発言をしたが、もしも放流が間違いだったということなら莫大な賠償責任が発生するわけで、それを逃れたいというその意図はよくわかる。しかし、真夜中に避難の指示を出してもみんな寝てるのである。なんでもっと早く、できれば前日の明るいうちに指示できなかったのか。
その川がどれだけの水を流すことができるのか。そうした「限界流量」を超える量の雨が降ったから堤防を水が越流したという単純なことでもなかった。岡山県倉敷市真備町の小田川の場合、バックウォーターという現象が起きていたという。合流地点で本流の高梁川の水量が多くて流れ込めないために逆流したということだが、それは1983年8月の大水害で松原市が広範囲に冠水した状況とよく似ている。あの時、氾濫したのは西除川という幅10mほどの中小河川だったわけだが、そこに大和側の水が逆流してきたのである。個別の河川の堤防をどうするといった問題ではなくて、広域的に対処すべきことなのだが岡山県も国もこの倉敷市真備町という地域の浸水の危険性に気づきながら20年も何もせずに放置していたということならば、それはもはや人災である。
なんでも「想定外」ということばで片づけてはいけない。こんな大雨は想定外だったというのではなくて、それを想定して行動することが常に必要なのである。想定できなかった責任者をきちっと処罰すべきである。
太平洋戦争の時、日本軍はガダルカナルに空港を建設しようとしてわずかな兵を派遣したが、米軍に攻撃されて島を奪われる。米軍がガダルカナルに派遣した兵力の規模は全く日本軍の想定外だった。
ミッドウェイ海戦で主力空母4隻を失ったこと、牟田口廉也中将の行った無理なインパール攻撃で多くの日本兵が餓死したこと、こうした失敗はすべて「想定外」で片づけられることだろうか。東日本大震災の津波で福島第一原発がメルトダウンしたことも「想定外の大きさの津波だった」で済まされるのか。誰かが想定や予測したことが、誰かによって握りつぶされた結果ではないのか。ミッドウェイ海戦の前の図上演習では日本の空母はすべて沈没していたという。どうして最悪の事態を想定して対策を立てないのか。
福島原発が津波に弱く、冷却用の電源が簡単に失われることはオレの指導するディベート部の高校生でさえ予測していたことである。そんなことを東京電力の役員たちは無視していたのである。「堤防を強化するにはゼニがかかる」というただそれだけの理由で対策は見送られたのである。海辺にあるのにまともな津波対策ができていない欠陥原発であったのに「想定外の津波だった」で片づけていいのか。福島第一原発だけが欠陥原発だったのではない。日本にあるすべての原発は、メルトダウン時に作動するコア・キャッチャーが装備されてない欠陥原発であり、ヨーロッパの基準には不適合なのである。そんな大切なことを報道するテレビ局は一つもない。そんなことを番組にしたら莫大な広告料収入を失うからである。テレビ局はどこも正義よりもゼニが大事なのだ。
今回の西日本の大水害は予測不可能だったのか。今はかなり正確に降水量が予測できる。そんなに降ればどうなるかということはかなり早い段階でわかっていたはずである。宴会なんかしてる場合ではなかったのである。早めに自衛隊を出動させて避難誘導を行うべきだったのだ。そうすれば家の中で逃げ遅れて水死するような悲劇は防げていたのである。大地震が起きれば津波が来る前に逃げる。大雨や台風で洪水になりそうなときはまだ安全なうちに家を捨てて逃げる。それが真っ先に徹底されていれば多くの人命が救えたはずである。
今も多くの被災者が学校の体育館などに避難している。安倍晋三が訪問することが伝わるとたちまちそこにはクーラーが設置されたという。この国のあり方は常に方向が間違っている。一番優先すべきことはいったいなんだったのか。
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