2018年06月20日(水) |
吸殻を投げ捨てる馬鹿はなぜ存在するのか? |
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大阪市役所が全面禁煙化したのは橋下市長が就任した時である。しかし、喫煙習慣のやめられない職員は市役所周辺の路上で吸うようになって市民からの苦情が殺到し、結局市役所の敷地内に喫煙所を設置するということになった。路上喫煙されるなら決められた場所でルールを守って吸ってもらった方がいいということである。
道路で吸ってはいけないというのはそこが公共の空間であるということと、そこで吸う人間は必ず道に吸殻を投げ捨てるという二つの理由が考えられる。運転中に喫煙するドライバーの多くが窓を開けていて、時にはその窓から吸殻を投げ捨てることからもわかるように、喫煙者の多くは吸殻はそこらに投げ捨ててもOKだと考えている。どうしてそういう馬鹿が存在するのかとオレは長いこと不思議だったが、彼らにとって吸殻はゴミではなく、副流煙と同じく自然の中に還っていくものという感覚なのである。馬鹿だからではなくて価値観の問題だったのだ。
甲子園球場では長いこと、ビールを飲みタバコを吸いながら観戦することが普通だった。その甲子園が全面禁煙化に踏み切った時、喫煙している阪神ファンたちはどうしたかというと、相手チームの攻撃になると喫煙所に移動して、そこで大型モニターで試合を観戦し、吸い終わるとスタンドに戻ってくるという秩序正しい習慣をとるようになったそうである。施設の側が適切な対策をとることで周辺住民の迷惑も減らせるし、阪神ファンもまたルールを守って行動できたということである。もっとも試合が終わった後、球場を出てからの道路で喫煙する人たちがいるのかどうか、最近忙しくて甲子園に足を運んでないのでよくわからない。
オレの父親は心筋梗塞で倒れるまではヘビースモーカーだった。家の中でもがんがん吸っていたが、孫が生まれたときからは家の外で吸うようになった。もっとも孫が少し大きくなったら「赤ちゃんじゃないから大丈夫」とまた家での喫煙は復活したけれども。我が家の二人の息子はオレと同じく喫煙習慣はない。
これから喫煙という文化はどんどん失われていくだろう。中学校や高校で喫煙で注意や処分を受ける生徒も激減している。それによって起きる税収減はどうしようもないし、昔と比較してタバコはものすごく高くなった。そうして失われていく喫煙習慣を頑なに守り続けてるのはどういう人たちなのだろうか。
入学試験の偏差値の低い大学ほど喫煙率が高いという話を聞いたことがある。映画「風立ちぬ」でもわかるように昔は帝大生でも普通にみんなタバコを吸っていたわけだが、今は東大生の喫煙率というのは全国の大学の中でも一番低いレベルだろう。結果的に学力偏差値が低くなればなるほど喫煙率が高いということになれば、オレがこのタイトルで書いた「馬鹿だからタバコの吸い殻を投げ捨てる」ということに関係してくる。健康にも悪いのにタバコを吸ってるという行為をやめられないことがすなわち「馬鹿」であり、その中にマナーの悪いものが存在するから目立つのである。もちろん吸殻を投げ捨てないようなマナーのいい馬鹿も存在するが、少なくとも喫煙しているという時点でオレには馬鹿に見えてしまうのである。
低所得者ほど喫煙率が高いという統計は存在する。タバコの税率を上げるとどういうことになるのか。それは貧富の差が拡大するということである。たばこ税という巨額の税収が貧困者から搾取されているという社会構造が正しいとオレは思わない。そして低学歴者ほど喫煙者が多いということは、それが教育の問題であるような気がしてならないのである。
マナーを守る紳士的な喫煙者に対してオレが思うのは、高額納税ありがとうという感謝の気持ちである。そして貧しいのに高いたばこ税を払ってくれている方々には、なんだか最近申し訳ないという気持ちが生まれてきている。迷惑な路上喫煙者の投げ捨てる吸殻も、回収したらたばこ税からリサイクル料が支払われるという仕組みにしたら、空き缶の回収と同じく価値が生まれるのではないかとオレは思うのである。もっともそんな仕組みをうっかり作ったら、どこかの迷惑な怪しい国の企業が効率的に吸殻を生産してきて大変なことになってしまうだろう。
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