2018年06月18日(月) |
6月18日、その朝 |
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その揺れがやってきたのは朝7時58分だった。オレは駐車場にクルマを止めて、階段をゆっくりと上がってるというタイミングだった。強い揺れを感じ、目の前にいた生徒とその場で立ち止まって揺れが収まるのを待った。すぐに全校放送が入った。「いますぐグランドに避難しなさい」ということで全校生徒はグランドに出た。
揺れそのものはすぐに収まったので、グランドに出た生徒たちにさほどの動揺はなかった。スマホでニュースをチェックしたらすぐに震源地が高槻市であるということもわかった。問題だったのはその時間である。まだ多くの生徒が学校に着いていない時間に今回の地震は起きたのだ。電車の中にいた生徒はそのまま閉じ込められたり、あるいは直近の駅に降ろされて、そこから徒歩で学校に向かうということになったのだ。
余震が収まり、グランドには小雨も降ってきたのでいったん生徒は教室内に入ることとなった。その間に途中の駅で強制的に電車を降ろされた生徒も次々と学校に到着して少しずつ教室の生徒は増えたが、登校できた者は約7割、3割は途中で閉じ込められたかあるいは登校することを断念したようだった。登校できなかった生徒が何人いるのかすぐに集計され、臨時休校ということになり徒歩で帰宅可能な生徒は下校、それ以外の生徒は電車が動くまでは待機、あるいは保護者が迎えにくるまで待機ということになった。
授業が全くなくなったので、教室の生徒たちはヒマである。黒板に五目並べを書いて遊ぶ者、楽しそうにアイドルの話題に興じる者、ボール遊びをして叱られる者などいろいろである。机を8個組み合わせて即席卓球台を作って遊んでる教室もあった。もちろん参考書を開いて勉強している生徒もいる。
しかし、北摂地域からきている生徒たちは自宅に被害がないかどうか不安そうにしていて、オレが開いたスマホ画面のニュースを気にしていた。
黒板に路線ごとの運転状況が書かれたクラスもあった。大阪南部の鉄道は次第に運転を再開し、近鉄南大阪線、南海高野線、南海本線などがかなり早く復活した。地下鉄も谷町線や鶴見緑地線は割と早く運転再開したので、それらの路線を利用する生徒は帰宅していった。
北摂地域の交通はかなり混乱していたようで、大渋滞でクルマが動かず、生徒を迎えに来たクルマもなかなか学校にたどり着けず、高槻に住む生徒の保護者が迎えに来た時間は15時近くだった。下校した生徒がきちっと帰宅できたのかという確認に追われ、オレは学校の電話を使って生徒の家にかけたり、学校の回線がふさがってるときは自分のスマホから保護者に連絡をとった。そうして帰宅を確認した後、オレはやっと帰宅することができた。「休校」だったのに、通常授業の時よりもはるかに疲れ切った一日だったのである。
最初に揺れたとき、オレは「もしかして南海トラフ地震が来たのか」と思って焦った。このまま校舎が崩れ落ちたら絶対に多くの犠牲者が出る。果たしてこの校舎は震度7に耐えることができるのかと恐れたのである。
実際の震度は4程度で、校舎に被害が出るところまではいかなかったのだが壁に小さな亀裂ができてるところもあった。もしかしたらこういうところから崩壊が起きるのかも知れないのである。
巨大地震はいつやってくるかわからない。それは本当に突然やってくるので、その時に向けて心の準備をすることもできない。通学路のブロック塀が突然倒れてくるなんて誰が予想できただろうか。
翌朝の新聞には粛々と徒歩で淀川大橋を多くの人が渡っている写真が掲載されていた。今回の地震で不幸にも命を落とすことになった方々の冥福をお祈りしたい。自分や家族はたまたま今回は被害がなかったわけだが、いつこのような災害の被災者の立場になるかはわからない。今は交通インフラが一刻も早く回復し、市民生活の平穏が取り戻せることを願っている。担任するクラスの生徒が「水道は使えるようになったけどまだガスが出ない」と書いていた。
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