2018年05月01日(火) |
トランプと金正恩にノーベル平和賞を! |
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口だけで核廃絶を唱えたオバマ元大統領よりも、実際に北朝鮮の核兵器を放棄させたトランプ大統領の功績の方が大きい。それよりも朝鮮戦争を終結させた金正恩の方がさらにノーベル平和賞にふさわしいという判断がされれば、後生の歴史はどのように評価するだろうか。
ノーベル平和賞というのはもっとも政治的に利用される賞である。中国の民主活動家に授与したり、ダライ・ラマ14世に授与したことはその端的な例である。だったら今回の受賞に相応しいのはトランプと金正恩ではないかとオレは感じるのだ。
ノーベル平和賞ほどイカサマでうさんくさいものはないという気もする。過去にはニクソン政権でベトナム戦争に関わったキッシンジャー国務長官や、非核三原則というウソを公言した佐藤栄作にも与えられている。そういう意味では今年は絶対にトランプと金正恩に与えるべきだという気もするのである。
金正恩がノーベル賞にふさわしいかどうかと訊かれたら、多くの人がふさわしくないと答えるだろう。彼には叔父と兄を殺したという疑惑もある。暗殺という手段で政治的ライバルを消すことはスターリンの時代からロシアのお家芸みたいなものだが、もちろんそれはただの憶測であり暗殺と思われてるものもすべて自然死の可能性もある。英国国内で発生した元ロシア諜報員への襲撃事件も、真相がロシア政府から語られることはない。それは北朝鮮による日本人拉致事件の動機が永遠に語られないことと同じく、共産主義や社会主義という政治の持つダークな部分だからである。個人の人権よりもはるかに優先する何かが存在するのだ。
日本という国家の立ち位置はどうあるべきなのか。民主主義というものがここまで劣化して、官僚が国会で平気でウソをつき、それを政治家が「問題ありません」と答える。そんな光景はむしろ非民主国家にとって追い風なのである。
「民衆が選んだ政治家に任せるよりも、私たちの方が国民を豊かにしますよ。日本をご覧なさい。あんなにダメになったでしょう。」
劣化した民主主義よりも、一党独裁の方がよりよい政治が行われるならば、もはや民衆はその状況を受け入れるようになるだろう。そうならないためにも日本の政治は良識を示すべきだったのだ。明らかにおかしなことがあったときには与党内からもきちっと批判し、自浄能力があることを示すべきだったのだ。どうしてそんな簡単なことができなくなったのか。
日本では政治家への怒りを示すことは大人げないと思われてるのだろうか。韓国のように大統領を退陣に追い込むほどのデモも起きないし、国会に怒った群衆がなだれこむこともない。ネット上には保守工作員のくだらない自作自演の書き込みが並ぶ。セクハラ事件は女性の人権を踏みにじる事件が体制側の人間によって起こされても、必ず加害者を擁護して被害者をセカンドレイプする連中がいる。なんて情けない国なのかとオレは感じるのである。
南北朝鮮統一という誰も予想できなかったことが近々実現するかも知れない。こうして歴史を変えたトランプや金正恩と、都合の悪い事実についての記録を変えたと安倍晋三と、器の違いがあまりにも際立ってるような気がするのである。もちろんオレはトランプも金正恩も嫌いだが、逃げ回ってウソをつきまくる今の安倍晋三はもっと嫌いだ。
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