2018年04月05日(木) |
オレは大阪のカジノに反対する |
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大阪にカジノを作ろうとする動きがある。国会でカジノ関連法案を通過させようとする議員たちが居る。オレは思うのだが、そもそもカジノみたいな貧困な娯楽で人を呼んでハコモノを建ててゼニを使わせようという発想が間違ってるのである。
カジノをやりたいヤツはラスベガスとかマカオとかに行けばいいのである。そんなとこにあるヤツを真似て同じような施設を作ったとして、そのノウハウや運営のために外国のうさんくさい連中にいっぱい上前をはねられるわけだ。馬鹿馬鹿しいとは思わないのか。もしもカジノをやるんなら、日本にだけしかないような特別なものを作るしかないのである。それはたとえば賭場を開帳するということである。丁半バクチをやるための壺振りのお姉さんを養成し、それがカッコイイ職業であると世間にアピールし、暴力団の介入を一切排除するか、あるいは暴力団をオモテのシノギに取り込んで明朗会計で運営させるかである。
今日本に来てる外国人はカジノのために来てるんじゃない。もっと別の魅力を日本に求めて来ているのである。そして日本での暮らしを好きになって移住してくる親日外国人もどんどん増えている。そうした人たちが愛する日本の良さを、カジノはかえって損なうような気がするのだ。
なんかどでかいハコモノの商業施設を作ればそこに人が来て賑わうというのは今の自民党の60代、70代のジジイたちの発想である。そういう開発がこれまでどれだけ失敗してきたかそいつらは記憶の中から無理に排除してるのである。
夕張市がどうしてあんな財政状況になったのか。炭鉱が閉山する中で新しい集客施設を作ろうとして積極的に投資していろんなハコモノを作ったために財政破綻したのである。泉佐野市も同様だ。関空ができることでそれをあてにしていろんな借金でハコモノを建ててそのために財政破綻したのである。そういう失敗例が過去にいくらでもあるのに、どうしてそこから何にも学べないのだろうか。
大阪がもてあましてる舞洲や夢洲という埋め立て地に万博を誘致し、そこに鉄道や道路を整備してゼニを儲けたいというのは全く間違った発想である。人口がこれからどんどん減っていこうとしてる世の中で、街を新たに作るということは他の土地がますます人口減少に苦しむということである。老人ばかりになっていく街をどんなふうに住みよい街に変化させるか、増える外国人とどんなふうに共生していくのか。小学校の先生は何カ国もの生徒を相手にしないといけないので大変なのに、そこに通訳が重点的に配置されてるわけでもない。現場の人たちの努力ではカバーし切れてないのである。
大阪をこれからどんな街にしていくのか。そのためにはカジノみたいなものを導入するのではなく、異文化を受け入れることに寛容な大阪の地域性を活かすしかないのである。どこの国の人であっても、とりあえず飴ちゃんをあげてコミュニケーションがとれるという大阪のおばちゃん的なぬくもりが地域を変えていくのである。
カジノを作れば土建屋がもうかる。万博のために地下鉄を延伸することになればゼネコンが潤うが、その借金は未来の住民に押しつけられる。そんな悪循環はもう排除しないとだめである。生活者本位の行政というものを実現しないとだめなのだ。非常勤職員をどんどん増やし、正規の職員の残業や過労死を増やしてるのに「公務員をリストラできた」などと放言してるようなポピュリスト政治家のためにどれほど多くの人が犠牲になったことだろうか。ゼニは使うべき所にきちっと使わないとだめだ。行政サービスを向上させて住みよい街にするために公務員の数が増えるのはいいことである。住みよい街になれば税金をちゃんと払ってくれる人が住んでくれるからである。
公務員のリストラの結果起きたことのひとつが、貧困ビジネスの増加である。困窮者個々への対応を暴力団や怪しいサヨク団体に丸投げしてしまった結果、生活保護の人を囲い込んで搾取する貧困ビジネスが急増した。今西成に行けば、そうした貧困ビジネスの業者の看板が乱立している。もらえるはずの保護費はピンハネされて手元には最低限しか残らないのである。行政はそうした実態を完全に放置しているのだ。
オレはカジノに反対する。そんなことよりも大阪がやらなければならないことはいっぱいある。カジノなんて他の馬鹿自治体にやらせればいいのである。
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