2018年04月03日(火) |
この春大学生になるきみたちへ |
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4月になった。大学入試を勝ち抜いて第一志望の大学に合格し、中には親元を離れて新生活をスタートする者もいるわけだが、誰もがそんなふうに希望に満ちあふれているわけではない。第一志望が早稲田大学であってもその多くは明治や立教や青山学院や中央や法政へと流れていく。日本の大学生の中で第一志望校に入れる率は2割しかいないとも言われる。つまり、ほとんどの大学生は不本意入学者なのである。オレが担任していたクラスでもセンター試験を受験して国公立大学を目指した生徒たちの中で、その希望を叶えたのは一部だけである。私立大学に進学する生徒もいれば、浪人して捲土重来を期す者もいる。予備校で一年頑張れば志望校のランクも上がるだろう。さまざまな夢を胸に抱いて18歳の若者たちはこの春を迎えているのである。
不本意入学だからと恥じることは全くない。神戸大学に不合格で立命館大学に行くことになったからといって何も気に病むことはない。神戸大学よりもすぐれた部分が立命館にはたくさんあるからだ。関西の女子大生から「イモ」とか「ダサい」と思われている大阪大学や大阪府立大学に行くよりも、同志社大学に行った方が周囲の影響でセンスが良くなってモテるかも知れないし、そういう違いは入ってからの努力によっても変わってくる。大切なのは今の自分を好きになることだ。肯定的になることで自分の進路を前向きにとらえるべきなのである。
大学での学びの意味は何だろうか。少なくとも高校までの「与えられる」学習ではないし、一部の学生を除いてその学習は何らかの試験に直結しているものでもない。そこで学ぶことは就職には全然役立たないかも知れないし、もしかしたら「そんな研究いったい何になるの?」という研究者の自慰的世界かも知れないのである。
理系の学問に比べて文系の学問は「無駄」扱いされがちである。文学なんて一番下等な学問であるかのように思われている。事実、文学部に進学したときのオレは「人生の落伍者」になったような気分だった。法学部や経済学部という有用な学問ができるところにも自由に進めるのに、18歳にして文学部に進むという選択肢を取る若者というのは「ゼニを稼いで自立する」という行為からもっとも遠いところに位置するのである。だから奨学金を貸す側は文学部に進む者へはできるだけ貸さない方がいいのである。その奨学金が返済不能になるリスクが他の学部よりもきっと高いと想像されるからである。卒業者のニート率がもっとも高そうなのが文学部である。
たまたまオレは文学部出身でありながら、教員という職を得て喰うことができた。そういう意味では自分は幸運だったと思っている。18歳の時に「就職のことなんか考えずに好きな学問をやりたい」という向こう見ずな考えを持ってしまったために文学部というアホな選択をしたことを、いつまでたっても非常勤の身分で苦しんでいる大学教員の方々は後悔しているかも知れないのである。
まあそういう一部のアホな選択をしてしまった負け組はここではおいといて、普通の大学生はやっぱり「就職に強い」とか「大企業に入りたい」とかいう選択基準で大学を選んでいるのだろう。Fランクの大学であっても入学案内にはなぜか就職先に有名企業が並んでいる。「ほんとかよ?」と思うのだが、まあごくまれにそういう人もいるのだろう。実際はニート養成所のようになってるかも知れない大学であっても。
大学には楽しいことがたくさんある。サークル活動もあれば、異性との出会いもある。いわゆる「ヤリサー」と呼ばれてる自堕落な集団もあれば、革マル派や中核派や統一教会という反社会的集団も学生に混じっている。大麻や覚醒剤も留学生たちが持ち込んでどこかで売ってるだろうし、バイトも高校よりもはるかに自由にできる。
この春から大学に通い出したきみたちが、豊かな学生生活をエンジョイし、4年間を実り多い時間にできることをオレは応援している。オレもできることなら大学に入った時に戻りたいぜ。
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