2018年03月13日(火) |
春はどこへ行った・・・・ |
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ついこの間まで寒波が日本列島を襲っていた。福井では記録的な豪雪となって死者も出た。雪で国道8号線に多くのクルマが立ち往生した。それがどうだ。今日、3月13日の最高気温の予想は18度、明日は20度を超え、明後日は23度だとかいう。もうGW並みの陽気がやってくるのである。快適に過ごせる春はいったいどこに行ったのか。
かつての日本は、四季の移り変わりに自然の情緒を感じるのが人々のライフスタイルだったのである。その変化はいつも徐々に訪れて、人々は知らないうちに次の季節を迎えていたのである。日本人ならこの和歌の風情はよくわかるはずである。
秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる 藤原敏行
(秋が来たと目にははっきり見えないけれども、風の音に秋の訪れをはっと気づかされたよ。)
この和歌で詠まれている場面というのは、まだ残暑が続くものの暦の上ではもう秋になっていて、ひんやりとした秋風にはっと気づかされるという状況である。季節の移り変わりはそんなふうにいつのまにか忍びよってくるものというのが日本の「四季」だったのである。
それがどうだ。どうして真冬からいきなり夏になるんだ。春がないじゃないか。どうして3月なのに初夏の陽気になるのだ。そんなの間違ってるじゃないか。お花見の時に暑かったらおかしいじゃないか。どうして季節はこんなにデタラメになってしまったのか。
オレは冬や夏は苦手である。寒いのも暑いのも大の苦手である。だから冬はこたつに入ってる時間が長いし。夏はエアコンをガンガン効かせて地球温暖化を促進しているのである。そんなオレがせっかく屋根を外してオープンカーにできるクルマを手に入れたのに、オープンにして快適なのは春や秋だけだ。その春や秋がほとんど日本の四季から消えてしまって・・・というのがなんともせつないのである。どうしてなくなってしまったのか。
春はいったいどこに行ってしまったのか。
オレは横光利一の小説「春は馬車に乗って」がとても好きだ。松任谷由実の「春よ、来い」も好きだ。満開の桜の下の夜道を、ひんやりとした風を感じながら歩くのが好きだ。そこで生暖かいどよーんとした空気に包まれたくはない。
世界の中で日本ほど四季の移り変わりの美しい国はないとオレは思っていた。その日本の貴重な財産である「四季」が失われ、冬と夏の「二季」になってしまうのがオレはたまらなく悲しいのである。せめて一ヶ月ずつでもいいから春と秋は残して欲しいのである。このままいきなり夏の陽気が来るならオレは深く絶望するしかないのである。
急に暑くなれば桜の開花も早まるだろう。入学式の時には桜が散ってしまってるかも知れない。それは残念なことである。四季は年中行事とも密接に関わってるのである。春は入学や卒業の季節でないといけないのである。それが夏なら困るのである。
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