2018年03月11日(日) |
3・11、復旧と復興のはざまで・・・ |
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あの東日本大震災から7年になる。復興計画が本格的に動き出し、街が高台に移転したり、巨大な防潮堤が作られたりしている。海には貝や魚が戻り、三陸海岸の自然はかなり取り戻されたかのように見える。しかし、人々の生活が完全に取り戻せたわけではない。それは「復興」ということばと「復旧」という行為が全く別の方向を向いているからである。阪神大震災の復興事業を見ればわかる。
壊滅的な打撃を受けた長田地区は区画整理されて全く別の街に生まれ変わったが、旧住民は多くが生まれ育った土地を捨てて出ていった。「復興」はしたが「復旧」することはなかった。そこにあった生活は失われ、住民の多くは地上げ屋からゼニを受け取って街を捨てたのである。
震災復興という事業をビジネスチャンスとしかとらえないゼネコンや政治家が居て、その利権に群がって街を利用する。そいつらの頭の中には生活者の視点などない。被災地にかつて存在した生活など全く顧慮することもない。住民の生活を再建するならわずかなゼニで十分だったのに、意味不明な巨大な建造物のために巨額のゼニが使われる。そもそも釜石に巨大なラグビースタジアムが必要なのか。後背地の人口を考えればそれがどれだけ無意味なものであるかは容易に判断できる。そんな捨てゼニをなんでもっとまともなことに使わないのか。ワールドカップが終わった後の維持費がどれだけ財政を圧迫するのかということについて誰が考えてくれているのだろうか。
震災前にそこに存在した多くのコミュニティは今も存続している。先祖代々の土地で暮らす人たちは、たとえ津波が来る地域であっても移転しないで生活を再建することを望んでいたのかも知れない。集団で移転することが決まり、かつての自宅跡に立った人たちは何を思っただろうか。
浪江町は除染が進んでに住民が帰還できるようになったが、小学校の入学者は一桁台だという。放射能汚染にびくびくしながら帰還するよりも、別の土地で暮らすことを多くの人たちが選んでいるのである。もはや「復旧」なんて不可能になってしまった地域もあるのだ。東日本大震災は天災だが、福島原発の事故は人災である。東京電力の会長が安全対策を怠ったために起きた事故であり、防火設備を怠ったために多くの死者を出したホテルニュージャパンの火災と基本的に同じ性格を持つ事故である。地震が起きれば必ず津波が発生することを考慮しないといけないのに、津波で簡単に失われる予備電源しか持たなかったという時点で安全対策なんて全くやる気がなかったことは明らかだ。ところが日本の裁判所はこの大きな責任に対して罰を与えなかったのである。死刑になってもおかしくないほどの犯罪であるのに。もしもこれが韓国で起きた事故ならば、東京電力の経営陣は全員懲役20年くらい喰らっていただろう。大統領でさえきちっと法の裁きを受けるのである。政治家の犯罪に甘い日本とは大違いである。
オレは大学サイクリング部の時に東北を自転車で走っている。松島にも行ったし、野蒜海岸にあったユースホステルにも泊まっている。津波の被害の大きかった地域である。あの場所はどんなふうに「復興」したのだろうか。少なくとも記憶の中に存在するようなかつての風景はすっかりなくなっているはずである。
日本の政治は常にそこで生きる人々の生活を軽視してきた。すべてが政治家やゼネコンの利権第一で動かされてきた。政治家は誰もが選挙で当選した瞬間に手のひらを返して、民衆を裏切って大企業や官僚たちの味方となった。東日本大震災の復興事業を見ればそうした構図がよくわかる。そうした志の低い連中ばかり見ていると、オレは日本の将来に対して絶望的な気分になるのである。
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